諸悪の根源編 

 

結論から伝えると「人生つまらない!」と感じたフェーズがあった。

ということです。

 

時系列で伝えます。

2024年4月初旬。

 

新しいメンバー、新しい学年、新しい校務分掌に切り替わり、

相変わらず慌ただしい4月です。

これに関しては毎年待ち構えている壁なので、

4月・5月を乗り切ればなんとか落ち着くというのは経験上分かっていました。

 

しかし

 

職場のメンバーが大きく変わったことや

自分が5年目(講師経験もふくめ)ということもあり

①多くの校務分掌(担当業務)がふりかかってきました。

 

また、学年は3クラスなので相担(学年のメンバー)は私とあと二人。

その二人は他の学校から変わってきたばかりの二人なので

②勤務している学校のことを知っているのは私だけということになります。

他の学年は、メンバーの内2人は学校のことを知っている先生がいました。

 

 

①②が非常に苦かった。

 

学校の校務分掌(担当業務)は毎年変わります。

=1年必死に覚えては来年度には全く違う業務

 

メンバーも毎年変わります。

=1年終えても来年度には1からの人間関係づくり

 

この不安定さに悩まされました。

校務分掌にとりかかりたくても

学年の2人のメンバーに勤務校について質問され続ける日々。

「仕事に手がつかない」

頼まれることや質問されることにすべて応えてしまう自分。

そしていっぱいいっぱいになり、様々なミスをしてしまうこともありました。

新しい教頭には叱られる日々。正直頭ごなしに怒りをみせるので苦手です。

 

そして4月中旬

 

 

事故をしました。

 

 

退勤途中の話です。

眠気、注意欠陥により停車中の車にコツンと衝突してしまいました。

「終わった。」

公務員は信用失墜行為を特にしてはいけません。国民の税金で生活をしてますから。

ただ、

そこで誠実に対応することがベストであるので、すぐさま前の車にかけつけました。

外国の方でした。

二人乗車していました。

「いたい。いたい。救急車、救急車。」

こんなこと思いたくはありませんでしたが、

「お金目当てだ…」

と思ってしまいました。

 

次の日には報告書をかき、モチベーションは地にまで落ちました。

 

子どもたちとだけいる時間は嫌いじゃないし、ただ正直ムカつくこともある。

やりがいは感じるけど

指導をするときに親の顔がちらついて多くのことを考えすぎてしまう。

 

職員室に戻ればこんなにも学級とは関係のない仕事を任され、

満足に授業の準備もできない。

学級のことなんかこれっぽっちもできていません。

 

「こんな不安定な仕事つまらない!」

「授業が満足に準備できないなんて本末転倒すぎる!本職は授業だろ!」

「土日に仕事が当たり前になってるのはおかしい!」

尊敬する仕事の早い先生ですら、家で仕事をたくさんしているらしい。

 

 

そう思った私は毎日の朝が憂鬱になりました。泣きながら仕事に行っていました。

 

そこで・・・