✨✨【御四国】
『阿波』編 ‼
【阿波】

















『阿波』!!






ここ 『徳島県』の『阿南市』には、
猫だらけの神社がある !!。。






『お松大権現』

徳島県阿南市加茂町不ケ63





福岡の『有馬』、佐賀の『鍋島』と並んで
『日本三大化け猫騒動』に数えられる
『阿波の化け猫騒動』。

発端となったのは、「お松さん」の夫が
不作で苦しむ『加茂の村』を救うために
自分の土地を担保にして
村の富豪からお金を借りたことでした。
お金は期限までにきちんと返したのに、
借金をしたときの証文を返してもらえなかったため、お金は返していないとみなされてしまい、
担保の土地は取り上げられてしまいました。
解決しないまま夫が病死してしまい、
夫の代わりに「お松さん」が奉行に訴えますが、状況は変わらず。
奉行は富豪からわいろをもらっていたので、
「お松さん」の訴えを聞き入れませんでした。
最終的に、「お松さん」は藩主への直訴にかけました。
直訴は【死罪】、
命をかけて夫の無実をはらそうとしました。
【死罪】になる直前、「お松さん」夫婦が子供のようにかわいがっていた飼い猫の「三毛」に恨みを残し、「お松さん」の死後は
「三毛」が【化け猫】となり富豪と奉行を祟りまくり、ついに両家とも滅びた、
というのが『阿波の化け猫騒動』です。
問題の担保の土地は、今でも神社の近くに残っていますよ。
境内には、切り絵でこの『阿波の化け猫騒動』を解説しているお堂があります。


飼い主の仇討ちを果たした!!…愛猫のお話し。。







猫をお祀りする、お松大権現のご利益は?

命をかけて正義を貫いた
「お松さん」と「三毛」は、
勝負事や訴訟、受験の神さまとして崇敬されています。
毎年、受験シーズンには大勢の受験生や
その家族が合格祈願に訪れていますよ。
境内にあるたくさんの絵馬には高校受験や
大学受験、資格試験などの合格祈願の願いごとが書かれていました。


本足跡 







きらクロネコちゃん↑きらキラキラ










降臨 !!☆ミ


きら黒猫↑きらキラキラキラキラ






『お松大権現』!!































🐾

  🐾



なんかテンション上がる⤴︎ ⤴︎
。。。キラキラにゃんこ。musicloveキラキラ

















日本一社 !!
『お松大権現』!!
























































オッドアイ猫オッドアイ猫オッドアイ猫オッドアイ猫黒猫オッドアイ猫オッドアイ猫オッドアイ猫オッドアイ猫













『資料館』
 …『日本三大怪猫伝』『徳島三大妖怪話』

宮田雅之画伯の『切り絵』10点が展示され、
『お松さまの伝承』と共に順次説明されています。
また、『系図』やお松さまの夫 惣兵衛さんの
『覚書』なども展示されています。







『日本三大怪猫伝』!!。。。
『阿波三大妖怪伝』!!。。。


『お松大権現』は
久留米の『有馬』、肥前の『鍋島』と共に
『日本三大怪猫伝』の一つ。

また『阿波徳島』では
『小松島』の「金長たぬき」、
『三好市』の「児啼爺」
と『三大妖怪伝説』に数えられています。


本足跡 

























『お松大権現のイヌマキ』



【天然記念物】の『イヌマキの木』

境内にある【市指定天然記念物】イヌマキの木は樹齢300年、村人がお松さんの供養のために植えたものといわれています。

本足跡 





きらクロネコちゃん↑きらキラキラ







『御神木の槇』 まき・イヌマキ

【市指定天然記念物】に認定とのこと
 平成25年5月

古来より、
『槇は魔除け、また、そこは神聖なる地を意味する。』と聞き及んでいます。

お松さま没後、今年で327年。
当時、彼女の埋葬に関わった『太龍寺』の僧侶は、(儀)『義理大権現』の【神号】を授けております。
本来ならば、一族、先祖代々の
(夫惣兵衛の眠る)墓所地が近くにあり、
そこに埋葬されて然るべきところ。
しかし、少し離れてこの地を埋葬地として選定されたのは、神格(権現)としての別格な取り計らいがあったものと想われます。
この墓所(埋葬の地)と
二本の槇の木(推定樹齢300年以上)は、
それぞれ2mと3mの至近にあり、
推定樹齢とお松祭祀の時期は年代的にも符合し、呼応する物があります。
二本の槇は、『本地垂迹』の【本地】として、
魔を祓い除き、神聖なる地を示唆しております。
当社では、この二本の槇の木を【御神木】として、注連縄をはり、大切にお護りしております。
現在、この【埋葬の地】には、
『層塔』が建てられていますが、
昭和38年に『拝殿』建立の折、『本殿』は
この地より『遷宮』されております。


本足跡 























🐲 😺 




















「お松さん」【埋葬の地】




『お松さんの墓所』

貞享三年三月十五日の処刑。
お松の葬儀に関わったのは『太龍寺』の僧侶である。
お松に『義理大権現』の【崇号】を授けている。(儀理大権現のお札もある)
罪人であり、一庶民に『権現』という【神格】を授けることは、『身分制度』の否定であり、
お上に知られれば厳罰が必定である。
そもそも『仏教』での教えでは、
庶民に【徳】を説き、【善行】を勧めるが本義。
【義】を貫く生きざまに感銘しての僧侶の覚悟が偲ばれる。
また、村人たちも、お上を憚りこの事件を
子々孫々へと語り伝えることが、
権力統治の御世、絶対服従が『身分制度』の根幹、強権圧制へのささやかな抵抗であろうか。
村人たちは、隠れキリシタンのように、
お松を祭祀し、この事件を語り伝えている。



お上を批判することは許されない。
「おまはん、言われんけど、、、、、」と、
ひそひそと語り継がれた(お松の悲劇)が、
公然と語られ、祭祀されるに至ったのは、
言論の自由が認められた明治以後である。
昭和初期には、この伝承を『春子太夫一座』による芝居での興行が喝采を拍し、
「お松」の実名での演出もあり、
これまで『義理大権現』から
『お松大権現』に改称されている。


本足跡 















御由緒 『直訴』より抜粋


 貞享三年の正月のことであった。

駕籠に前後する長い行列が続く。
そこをよぎる白い影があった。
行列はたちまち乱れ駕籠をとり巻く。
『無礼者!』と、声が飛び交い騒然となる。
すでに刀を抜き放った者もあった。
その時、『まて!』と、これを制する低い声があった。
この騒ぎで僅かに駕籠を開けた藩主の声である。
駕籠の前に白衣の若い女が伏していた。
慈悲を請い差し出す書状、
それは正義と真実を賭した命の叫びであった。
悲愴がにじむ顔容が妖しいまでに美しい。
お松の姿におもわず藩主も息をのんでいる。
『吟味しておこう!』との藩主綱矩公の御声。
お松の目には涙が浮かんでいた。

 行列はもとの隊形にかえり、
何事もなかった様に通りすぎてゆく。
瞬時の出来事であった。
 当時、藩主、大名への直訴は、
その是非に拘らず死罪である。
命にかえた訴えも取り上げられない事もある。
ましてその場で無礼打ちに遭うこともある。

 お松の身は即刻、徳島城下塀裏の獄舎に繋がれたが、処刑の日まで現在の保釈と言う形で
役人監視のもと帰宅を許されている。


本足跡 








御由緒 『処刑』より抜粋


 『刑場』は、現在の『お松大権現社』より西へ
二百米の地点に『伝説五反地』があり、
更に西へ二百米離れた加茂川が那賀川に合流する『加茂の河原』であった。

役人に伴われたお松は白衣の装束。
結を解かれた長い黒髪は背に流れている。
 村人たちは物陰から死出の別れを悲しみ見送る。すすり泣く声と念仏の声が入り交り聞こえる。
 お松には子がなく、
我子の様に猫「三毛」を寵愛した。
いつもお松の側を離れない。
この事件の真相を見つめていた唯一の生証人であった。
お松は、この猫に遺恨を言い含めたと言う。

 刑場の設けられた席につくお松には、
澄みきった静けさがあった。
望月の淡い光芒を集めて
仕置役人の構えられた刃が冷たく光る。

 折しも川風が吹き荒び、
お松の長い黒髪は、炎となって逆立つ。
月の光が白衣のお松を浮きたたせ、逆立つ黒髪が “光背を持った美しい菩薩像” の様に役人達の目に映った。
菩薩の切ることのためらいが生じた役人たち。

 しかし、断行せねばならなかった。
役人たちの口々に念仏の唱和が流れだす。
刀は弧を描いて一閃。
叫びなく猫にも情の一刀が振り下ろされる。

 時に貞享三年三月十五日のことであった。


本足跡 







『伝説五反地』


【伝説五反地碑文】
時は天和、貞享年間(1681〜1686)
加茂村の庄屋惣兵衛は、
野上三左衛門より金子借用の為に担保に書き入れたと言う五反地。
金子は返済。
だが、その証文を受け取らぬまま惣兵衛病死。
このことが起因となり、
証文を手にする三左衛門は、この土地を奪い取らんと画策。
やがて、この土地をめぐる争いは、
奉行の理不尽な裁きにより、その因果と共に、
庄屋惣兵衛の妻、お松の悲劇が、
今も尚、伝承されている。


お松大権現【奉納歌】

邑はみな 深き恨みの 五反地の
貞享のあはれ 今も知りいし

示拙庵主人


『伝説の五反地』
お松さまの夫 庄屋 惣兵衛さんが金子借用のため、担保に書き入れたと伝えられる五反の田地。
『お松権現社』 西方300mにあります。



本足跡 








【時代背景】|江戸前期の出来事

「お松さん」が生きた時代、江戸前期は
徳川綱吉により『生類憐みの令』が出されていました。


1682(天和2)年:
諸国に高札をたて忠孝を奨励し毒薬売買などを禁止する。

1682(天和2)年:
江戸で大火(『八百屋お七の家事』)が起きる。

1683年:
『清』が『台湾』を平定する。

1684(貞享1)年:
大老 堀田正俊が江戸城中で
若年寄 稲葉正休に刺殺される。

1685(貞享2)年:
将軍綱吉が最初の『生類憐みの令』を出す。

1686(貞享3)年:
熊沢藩主の『大学或問』ができる。

1686(貞享3)年:
井原西鶴の『好色五人女』が発刊される。


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