『妙見堂』
『妙見大菩薩』
『妙見山観音堂』
「大避神社」左手の『裏参道』(舗装道)を登った山腹にある『観音堂』。
神仏習合時代、「大避神社」の『神宮寺』だった寺で、明治初年の『神仏分離』によって分離されたという。
社頭に示す説明によれば、当寺は
『赤穂郡観音三十三ヶ所』の一つで、
安永6年(1777)3月に御霊体を安置し、
住民は“孫子にいたるまで信仰すると誓った”とある。
今、『如意輪観音』・『六観音』
・『弘法大師』を祀っているらしい。
『宝珠山妙見寺』
宝珠山妙見寺の開基は孝謙天皇の御宇
行基大僧正が天平勝宝年
(751年)に開基したと伝えられている。
しかし それより117年前に聖徳太子が
秦河勝公に『坂越の地』に金紫銅で作った
誕生仏を『坂越』に祭るよう命じた。
それが『妙見寺』ではないかと想像される。
『妙見寺』は勤操大徳と弘法大師のながれをうけて『真言密教修業の道場』として栄えました。
約650年前の南北朝時代(1300年代)が最盛期で16の坊舎と9つの庵が『宝珠山』の谷間に山麓から山頂へと建ち並び、宝珠山山頂の直下南西側に鐘楼があり山の八分目あたりに集中した坊舎の白壁が 朝日夕日に金色に輝いた
と言われています。
しかし、『嘉吉の乱』(1441)の後
文明17年(1485)の『僧兵一揆』により焼失した。
『妙見寺観音堂』は萬治2年(1659)に
『宝珠山』中腹に建立され『円通閣』と呼ばれたが 台風で大破し、享保7年(1772)に龍泉坊跡地の安全な現在地に移築された
『如意輪観世音菩薩像』『六観音像』
『弘法大師像』『阿弥陀如来像』
『弥勤菩薩像』 を有す。
『聖如意輪観世音菩薩』は
空海が『唐』からの帰途『坂越』に留泊し、
自ら刻まれた仏像と伝えられる。
『如意輪観世音菩薩様』は13の災難にあっても、観音様を念ずれば助けられるといわれている。
また『観世音菩薩様』は、
人生の出来事を良くみていらして危難を排除してくださる。
平成9年に赤穂市の有形文化財に指定された。
のうぼうあきしやぎゃらばや
おんありきやまりぼりそはか
『虚空蔵菩薩』‼ 。。。
行基 ‼ 。。が
『密教』の秘法 !!
『虚空蔵求聞持法』!!✨✨
秦河勝公の子孫 勤操僧都 ‼ が会得 ✨
『大満虚空蔵 石の塔』
『虚空蔵求聞持法』と言えば!!
あの‼ 空海 ‼。。が修行の末に会得したことで有名だ !!✨
さらに ‼… 上がある!!