✨✨







「吉備津神社」とは

「吉備津(きびつ)神社」は
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
を主祭神とする山陽道屈指の大社です。

格式ある‼…『三備の一宮』

『本殿』は【国宝】に指定、
『北随神門』は【重要文化財】、
そして400mほど続く木製の『回廊』など、
その建築の美しさには魅了されます。
神社の起源には諸説がありますが、
文献がなく、いつ造営されたのかははっきりしていません。
商売繁盛、長寿延命、必勝祈願のご利益があると言われています。

本足跡








きらクロネコちゃん↑きらキラキラ










『吉備津神社 境内図』













「吉備津神社」








『矢置岩の由来』

社伝によれば、当社の西北八キロの
『新山』に温羅といふ鬼神あり、
凶暴にして庶民を苦しむ。
大吉備津彦命は『吉備の中山』に陣取り、
鬼神と互に弓矢を射るに、
両方の矢、空中に衝突して落つ。
そこに『矢喰宮』
(旧高松町高塚に現存)あり。

また中山主神は鬼神の矢を空中に奪取す。
当社『本殿』の中に祀る『矢取明神』は
すなはちそれなり。
この戦のとき大吉備津彦命、その矢を
この岩の上に置き給いしにより『矢置岩』
と呼ぶと。

旧記によれば中古より『矢祭の神事』あり。
願主は【櫻羽矢】
または【白羽の矢】を献る。
神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る。
のちその矢を『御蔵矢神社』に納むる例なりき、と。
この神事いつしか中絶せしが、
昭和三十五年、岡山県弓道連盟の奉仕により復活され、毎年正月三日、ここに
『矢立ての神事』を斎行することとなれり」 

本足跡





『矢置岩』

吉備津神社の『矢置岩』

 本殿北側の石段下にある『矢置岩』。
石の大きさは高さ約80cm、長さ約4.5m。
吉備津彦命が温羅を討つ際、
この石に矢を置いたという伝承をもつ。
古くは磐座であったと推察されている。 

 

吉備津神社『矢立の神事』
 (きびつじんじゃ やだてのしんじ)

【毎年行われる、健康と招福を祈る神事】
吉備津彦命の『温羅退治伝説』に由来するもので、『矢置岩』と呼ばれる巨岩に供えた
弓矢のお祓いを受けた後、
東西南北に向かって一斉に矢を放ち、
四方の悪魔を祓い、健康と招福を祈ります。 

本足跡












この‼…【石柱に注連柱】!!✨⛩
というもの ‼ ✨⛩
岡山県には、すごくよくあるパターンです ✨
(この『岡山』編 ‼✨を見ていっても分かる通り!!俺の回っていくところにも、かなり登場 ‼✨⛩。)

 
『黄薇唘國神武昭耀千古』

「吉備の国は
神武の太古よりあかるく光輝き  」
筆



『黄薇』。。『吉備』の國 ‼。。。❗❓

【吉備國の語源】
『黄蕨』『羈縻』。。きび




『中山鎮地黍稷馨香四時』

「中山の地に鎮まる
黍(きび)のかぐわしい国。」
筆



『吉備の中山』‼。。。

『黍』…『吉備』の國 ‼。。。

『黄薇啓国』
(世にも珍しい黄薇の生えた開けた国 ‼ )


きらクロネコちゃん↑きらキラキラ


黄色い蕨 …。。。。

吉備中山の伝説 …。。。

✨ 🇯🇵 🇰🇬 ✨








『北隋神門』

吉備津彦命の随神 ‼…
日藝麿と夜目麿 !! 。。。

日芸麻呂(ひげまろ)‼。。
夜目麻呂(やめまろ)‼。。














ここから下を見てみる!!✨✨

映える!!✨✨。。生えてる(笑)☆ミ✨


『北隋神門』‼ …


『北随神門』

『本殿』北側にある
『北随神門』(きたずいじんもん)は
三間一戸の八脚門で、
単層の檜皮葺き(ひわだぶき)入母屋造りとなっています。
室町時代後期に再建されました。

左右に随神(日藝麿・夜目麿)が安置されている。

少し階段を上がった所から見ると、
檜皮葺きの屋根がきれいに整えられているのが分かります。
『檜皮葺き』は日本古来の歴史的な手法で、
日本国外では見られないものです。
【重要文化財指定】。 

本足跡







吉備津神社拝殿正面扁額
 三島毅筆 『平賊安民』



『平賊安民』





おっ!!✨


備前焼の‼『燈籠』!!✨✨






国宝
吉備津神社 本殿・拝殿 !!






『吉備津宮』


大吉備津彦大神 !!



天井が高い !!✨✨












すごく大きいくて ‼ …
ものすごい立派な社殿 !!✨
きらクロネコちゃん↑きらキラキラ
























すごい !!✨✨
きらジジ!!きらキラキラ


唯一無二の‼…『吉備津造』

古くから広く信仰を集めてきた
『三備国一宮』、「吉備津神社」。
仁徳天皇が霊夢を見たことによって創建された由緒正しい神社である。


 本来は『吉備国の総鎮守』であったが、
『吉備国』の三国への分割により
『備中国の一宮』とされ、
【分霊】が『備前国』・『備後国』の
『一宮』(備前:吉備津彦神社、
備後:吉備津神社)となったとされる。
この事から『備中』の「吉備津神社」は
『吉備総鎮守』『三備一宮』を名乗る。




『本殿と拝殿』(【国宝】)!!
現存する『本殿・拝殿』は、
室町時代の明徳元年(1390年)、
後光厳天皇の命を受けた
室町幕府3代将軍の足利義満が造営を開始し、応永32年(1425年)に遷座した。
比翼入母屋造の『本殿』
の手前に切妻造、平入りの『拝殿』が接続する。
『比翼入母屋造』とは、
入母屋造の屋根を前後に2つ並べた屋根形式で、『吉備津造』ともいう。

『本殿』の大きさは、
『出雲大社本殿』、『八坂神社本殿』に匹敵するもので、随所に仏教建築の影響がみられる。
地面より一段高く、漆喰塗の土壇(亀腹)の上に建ち、平面は桁行正面五間、背面七間、
梁間八間で、屋根は『檜皮葺』とする。
内部は中央に閉鎖的な内々陣とその手前の内陣があり、その周囲を一段低い中陣とし、
中陣の手前はさらに一段低い
『朱の壇』(あけのだん)とし、
これらの周囲にさらに低い外陣が一周する。
このように、外側から内側へ向けて
徐々に床高を高くする特異な構造である。
壁面上半には神社には珍しい連子窓をめぐらす。
挿肘木、皿斗、虹梁の形状など、
神社本殿に『大仏様』(だいぶつよう)を
応用した唯一の例とされる。

『拝殿』は『本殿』と同時に造営され、
桁行(側面)三間、
梁間(正面)一間妻入りで、
正面は切妻造、背面は『本殿』に接続。
正面と側面には裳階(もこし)を設ける。
屋根は本殿と同じく『檜皮葺』だが、
裳階は『本瓦葺き』とする。

 この『本殿』と『拝殿』は、
全国でここだけでしか見られない建築様式であるため『吉備津造』と言われており、
 『本殿・拝殿』は、合わせて1棟として
【国宝指定】を受けている。 
 
この現在の社殿が完成したのは応永32年
(1425年)なので、約600年経つことになる‼

【国宝】の『吉備津造の本殿・拝殿』
(足利義満造営とされる『本殿』は
独特の比翼入母屋造(『吉備津造』)で、
『拝殿』とともに【国宝】に指定。) 

『本殿』の大きさはなんと ‼…
「出雲大社」の約2倍!! 

 
本足跡








模型がある ‼✨

上から見た全貌は‼️…こんな感じ ✨✨














『鐘楼』(【国指定重要美術品】)






🐶





『子供みくじ』



『よろこびみくじ』








「吉備津神社」(きびつじんじゃ)は、
岡山県岡山市北区吉備津にある神社。
式内社(名神大社)、『備中国一宮』。
旧社格は官幣中社で、
現在は神社本庁の別表神社。



「吉備津神社」

【所在地】
岡山県岡山市北区吉備津931

【位置】
北緯34度40分14.4秒
東経133度51分2.2秒


【主祭神】
大吉備津彦命

【社格等】
式内社(名神大)
『備中国一宮』
旧官幣中社
別表神社

【創建】
不詳

【本殿の様式】
『吉備津造檜皮葺』


『例祭』
5月第2日曜・10月19日

【主な神事】
『鳴釜神事』(金曜以外毎日)
『七十五膳据神事』(春・秋)






「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」
とも称したが、
現在は「吉備津神社」が正式名である。

【概要】
岡山市西部、『備前国』と『備中国』の境の『吉備の中山』(標高175m)の
北西麓に北面して鎮座する。
『吉備の中山』は古来より神体山とされ、
北東麓には『備前国一宮』
・「吉備津彦神社」が鎮座する。
当社と「吉備津彦神社」とも、
主祭神に、当地を治めたとされる
大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。

本来は『吉備国の総鎮守』であったが、
『吉備国』の三国への分割により
『備中国の一宮』とされ、
分霊が『備前国・備後国の一宮』
(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。
この事から『備中』の「吉備津神社」は
『吉備総鎮守』『三備一宮』を名乗る。

足利義満造営とされる本殿は独特の
『比翼入母屋造』(『吉備津造』)で、
拝殿とともに【国宝】に指定。
また社殿3棟が【国の重要文化財指定】されるほか、
特殊神事の『鳴釜神事』が有名である。


当地出身の政治家犬養毅は、
『犬養家』遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、「吉備津神社」を崇敬したという。
『神池』の畔に犬養毅の銅像が建てられ、
吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。




【祭神】
祭神は次の9柱。

【主祭神】
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)

第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を
「彦五十狭芹彦命
(ひこいせさりひこのみこと、
五十狭芹彦命)」。
崇神天皇10年、『四道将軍』の1人として
『山陽道』に派遣され、
弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。
その子孫が『吉備の国造』となり、
古代豪族の『吉備臣』になったとされる。




【相殿神】

御友別命(みともわけのみことのみこと)
 - 大吉備津彦命の子孫。

仲彦命(なかつひこのみこと)
 - 大吉備津彦命の子孫。

千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
 - 大吉備津彦命の姉。

倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)
 - 大吉備津彦命の姉。

日子刺肩別命
(ひこさすかたわけのみこと)
 - 大吉備津彦命の兄。

倭迹迹日稚屋媛命
(やまとととひわかやひめのみこと)
 - 大吉備津彦命の妹。

彦寤間命(ひこさめまのみこと)
 - 大吉備津彦命の弟。

若日子建吉備津日子命
(わかひこたけきびつひこのみこと)
 - 大吉備津彦命の弟。


古くは『吉備津五所大明神』として、
『正宮』と『他の4社』の【5社】
で1つの神社を成した





【神階】

六国史時代における神階奉叙の記録

承和14年(847年)10月22日、
無位から『従四位下』 (『続日本後紀』)  
- 表記は「吉備津彦命神」。

嘉祥元年(848年)2月21日、
『従四位上』 (『続日本後紀』)
 - 表記は「吉備津彦命神」。

仁寿2年(852年)2月20日、
『四品』、官社に列す 
(『日本文徳天皇実録』)
 - 表記は「吉備津彦命神」。

仁寿2年(852年)8月27日時点、
『四品』 (『日本文徳天皇実録』)
 - 表記は「吉備津彦命神」。

天安元年(857年)6月3日、
『四品』から『三品』 
(『日本文徳天皇実録』)
 - 表記は「吉備津彦命神」。

天安3年(859年)1月27日、
『三品』から『二品』 
(『日本三代実録』)
 - 表記は「吉備都彦命」。

六国史以後
天慶3年(940年)、『一品』






【文化財】

【国宝】
『本殿及び拝殿』
(附 棟札[明和6年]、棟札[弘化2年])
(建造物)
室町時代中期、応永32年(1425年)の造営。
本殿・拝殿合わせて1棟として指定。
明治35年4月17日に当時の古社寺保存法
に基づき【特別保護建造物】に指定、
昭和27年3月29日に文化財保護法
に基づき【国宝】に指定。






【重要文化財】(国指定)

『南随身門』(建造物)
室町時代前期、延文2年(1357年)の造営。
明治44年4月17日指定。


『北随身門』(建造物)
室町時代後期、天文12年(1543年)の造営。
大正2年4月14日指定。



『御釜殿』(建造物)
江戸時代、慶長17年(1612年)の造営。
昭和55年1月26日指定。



『木造獅子狛犬 1対』(彫刻)
鎌倉時代後期から南北朝にかけての作。
『本殿内々陣』の東西に安置される。
平成14年6月26日指定。






【重要無形民俗文化財】(国指定)

『備中神楽』
備中地方各地で奉納される『神楽』で、
「吉備津神社」では
毎月10日の『えびす祭』で演じられる。
保護団体は『備中神楽保存会』。
昭和54年2月3日指定。







【岡山県指定文化財】

【重要文化財】(有形文化財)

『回廊』(建造物)
 - 戦国時代、天正年間
(1573-1591年)の造営。
昭和51年3月27日指定。


本足跡