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おぉ〜っ!!✨✨





❗❓ ん??
『天柱』…って彫ってある!!??
発見ねこやん!!




『天柱岩(権現岩)』

『八大龍王』から『元宮磐座』に引き返し、
西に約100m下っていくと、急な坂道のための鎖場もどきのロープ場がある。
一歩一歩慎重にロープを伝って降りていくと、山の斜面から突き出た大きな岩が見えてくる。

 この岩について、「吉備津彦神社」に伝わる文化11年(1814)の絵図には
『権現岩』とあり、
古文書『備前州一宮密記』には
『権現の神座(しんざ)』と称されている。

『天柱岩』と呼ばれるようになったのは、
近年のことで、
「吉備津神社」の北東にある
福田海(ふくでんかい)を開いた
中山通幽(つうゆう)が、昭和9年頃に
江戸末期の備前吉永の漢詩人で医師でもあった武元登々庵(たけもととうとうあん)の書をもとに、岩に「天柱」の2字を刻んだことによる。

 この『天柱岩』が、
古代より神が降臨する『磐座』として信仰されていたのであれば、
どれほどりっぱな文字であっても、
石に文字を刻む行為は無粋なものに思えてくる。

「『磐座』は自然のままの姿で残してほしい。」。。

本足跡





『権現の神座』!!
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『木漏れ日の道』









んん❗❓✨

行ってみよう〜!!✨✨nya-*黒猫↑きらキラキラ

























『夫婦岩遺跡』

『木漏れ日の道』を西に下りきった場所に案内板があり、南に200m下りた所にある遺跡。
岡山市の遺跡一覧に記載されながら、所在が長く不明だったが、『吉備の中山を守る会』の調査の結果、平成19年11月に発見され、
その周辺と散策道の整備がされている。
遺跡の詳細は不明だが、
見事な巨岩が仲良く寄り添うように並んでいる姿から、容易に名前の由来が想像できる。
少し北側に上がった所から西に行くと
『石舟古墳群』に着く。 

本足跡














『夫婦岩』




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『お休み岩』




山の神 。。。

田の神 。。。

































『環状石籬』

大小の岩が並んでいる場所。
昭和10(1935)年皇学館大学の高原美忠学長がここを訪ね、著書『神ながらの道』で紹介されたのが名前の起源。
著書の中で
「配石の状、音江(北海道)のものに似てゐる。但し石は非常に大きい。……早く保存の法を講じてもらひたい。」と述べている。

『環状石籬』とは、
縄文時代の配石遺構で、環状に自然石をめぐらした墓で小樽市忍路のものに使われた名称である。
しかしこの周囲の歴史、岩の配置などから考えて、これを『環状石籬』と呼ぶのに異論を唱えている研究者もいる。

本足跡























ナナミノキ (モチノキ科)



面白い〜‼️ きらジジ!!きら














『ダイボーの足跡』

『ダイボー』とは
大きな坊さん(大坊)の意味。
窪地は足跡のような形をしており、
長さ20m、深さ50㎝程度。
足の大きさから考えると身長は140m程にもなる。
日本各地に伝承されている
『大太郎法師』(だいだらぼっち)と似ている。
元々は深さが1m程の人工池。
誰が何の目的でいつ頃つくったのかは不明。
『細谷川』の水源近くにあり、西側に畳一畳ほどの岩がある。
この場所で水の神を祀る神事をしていたのかもしれない。
本足跡






























『八畳岩古墳と八畳岩』

『八畳岩古墳』は古墳時代末期の
横穴式石室の古墳で、天井石は落ちている。
平成24年5月の清掃中に見つけたもので、
このような古墳は『吉備の中山』には数多くある。
『 八畳岩古墳』の西に大小100を越える岩があり、最大の岩が『八畳岩』。
岩の天井部が平らで畳八畳ほどの広さがあることが名前の由来。
『八畳岩』の前の土中から土師器の破片が多数採集されていることから、
この岩は【神の依代】として、神祭りが行われていた磐座であることがわかる。
『八畳岩』は『吉備の中山』における代表的な磐座である。

本足跡




『八畳岩』



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きらくろねこ↑きらキラキラ
























『鏡岩』

大きな立岩が一列に数個並んでいる。
一番下の大きな岩が『鏡岩』と呼ばれている。
岩の西面が真っ平らで、大きな鏡を連想させることが名前の由来だと考えられるが、資料は残っていない。
『鏡岩』から更に西に下った所は、
「吉備津神社」の境内で、『吉備の中山』
で最大の磐座『金刀比羅宮跡磐座』があるが、残念ながら整備できていない。

本足跡

















『石舟古墳』




きらクロネコちゃん↑きらキラキラ


『石舟古墳』

古墳時代終末期
(7世紀初め)の横穴式石室古墳。
中に『播磨国』の『竜山石』を刳り抜いた
『石棺』があり水をためている。
この水は潮の干満により水量が変わると伝えられており、海岸が近くにあったことが考えられる。
『石棺』の蓋石は、縦に半分に割られ、
ひとつは備前一宮駅のホームに置かれ、
他のひとつは不明。
江戸時代・吉備津神社の社家、賀陽貞持は
『吉備津宮略書記』で中世の吉備津神社で行われていた年中行事を紹介。
『三月三日(旧暦)。花祭り。
温羅の祭りなり』
「吉備津神社」で神事をした後、
【桜の枝】を持ち『石舟古墳』に詣り、
神事の後、【桜の枝】に水をかけ、
花びらが散るまで互いに打ち合うという内容。
室町時代には、『石舟古墳』が
【温羅の墓】だと考えられていたことになる。
4月第1日曜日にこの場所で『温羅の花祭り』をしている。 

本足跡



『吉備中山』!!
『磐座』‼。。『古墳』‼。。
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『石舟塚古墳』



























































『JR備前一宮駅』の
『石棺の蓋石』





『播磨国』の『竜山石』








『石舟塚古墳』
『温羅の花祭り』キラキラ花キラキラ







キラキラ花キラキラ




うらじゃ!!✨✨うらじゃ!!✨✨