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『天柱岩(権現岩)』
『八大龍王』から『元宮磐座』に引き返し、
西に約100m下っていくと、急な坂道のための鎖場もどきのロープ場がある。
一歩一歩慎重にロープを伝って降りていくと、山の斜面から突き出た大きな岩が見えてくる。
この岩について、「吉備津彦神社」に伝わる文化11年(1814)の絵図には
『権現岩』とあり、
古文書『備前州一宮密記』には
『権現の神座(しんざ)』と称されている。
『天柱岩』と呼ばれるようになったのは、
近年のことで、
「吉備津神社」の北東にある
福田海(ふくでんかい)を開いた
中山通幽(つうゆう)が、昭和9年頃に
江戸末期の備前吉永の漢詩人で医師でもあった武元登々庵(たけもととうとうあん)の書をもとに、岩に「天柱」の2字を刻んだことによる。
この『天柱岩』が、
古代より神が降臨する『磐座』として信仰されていたのであれば、
どれほどりっぱな文字であっても、
石に文字を刻む行為は無粋なものに思えてくる。
「『磐座』は自然のままの姿で残してほしい。」。。
『権現の神座』!!
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『お休み岩』
『ダイボーの足跡』
『ダイボー』とは
大きな坊さん(大坊)の意味。
窪地は足跡のような形をしており、
長さ20m、深さ50㎝程度。
足の大きさから考えると身長は140m程にもなる。
日本各地に伝承されている
『大太郎法師』(だいだらぼっち)と似ている。
元々は深さが1m程の人工池。
誰が何の目的でいつ頃つくったのかは不明。
『細谷川』の水源近くにあり、西側に畳一畳ほどの岩がある。
この場所で水の神を祀る神事をしていたのかもしれない。
『石舟古墳』
古墳時代終末期
(7世紀初め)の横穴式石室古墳。
中に『播磨国』の『竜山石』を刳り抜いた
『石棺』があり水をためている。
この水は潮の干満により水量が変わると伝えられており、海岸が近くにあったことが考えられる。
『石棺』の蓋石は、縦に半分に割られ、
ひとつは備前一宮駅のホームに置かれ、
他のひとつは不明。
江戸時代・吉備津神社の社家、賀陽貞持は
『吉備津宮略書記』で中世の吉備津神社で行われていた年中行事を紹介。
『三月三日(旧暦)。花祭り。
温羅の祭りなり』
「吉備津神社」で神事をした後、
【桜の枝】を持ち『石舟古墳』に詣り、
神事の後、【桜の枝】に水をかけ、
花びらが散るまで互いに打ち合うという内容。
室町時代には、『石舟古墳』が
【温羅の墓】だと考えられていたことになる。
4月第1日曜日にこの場所で『温羅の花祭り』をしている。
『吉備中山』!!…
『磐座』‼。。『古墳』‼。。
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『石舟塚古墳』