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八百比丘尼
 (やおびくに・はっぴゃくびくに)

福井県の民話





八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 若狭の国(わかさのくに→福井県)の古いほら穴には、人魚の肉を食べた女が八百才まで生きて身を隠したとの言い伝えがあります。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 その女は尼さんになって諸国をまわったので、いつの頃からか八百才の尼さんという意味の、八百比丘尼(やおびくに)と呼ばれるようになりました。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 さて、その八百比丘尼がまだ子供の頃、近くの村の長者たちが集まって宝比べをした事がありました。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 その中に見た事もない白いひげの上品な老人が仲間入りをして、一通りみんなの宝自慢が終ると、自分の屋敷へ長者たちを招いたのです。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 浜辺には美しい小舟が用意されていて、全員が乗り込むと絹の様な白い布がまるで目隠しでもするようにみんなの上にかけられました。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 そして舟が着いた先は、とても立派なご殿でした。


 老人の案内でたくさんの部屋にぎっしりとつまった宝物を見せてもらっている途中、

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 一人の長者が台所をのぞくと、

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 まさに女の子の様な生き物を料理しているところだったのです。
「なっ、何じゃ、あれは!?  人間の子どもの様だが、腰から下が魚の尾びれだ」

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 驚いた長者がその事をすぐにみんなに知らせたので、

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 後から出たごちそうには、誰一人手をつけませんでした。
 それを見た老人は、
「せっかく人魚の肉をごちそうしようと思ったのに、残ってしまってはもったいない」
と、

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 長者たちが帰る時に土産として持たせたのです。
 帰りもまたあの白い布がかけられて、どこを走っているかわからないままに元の浜辺へとたどり着きました。

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 そして舟がどこへともなく姿を消すと、長者たちは気味の悪い人魚の肉を海に投げ捨てました。

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 ところが珍しい物が大好きな高橋(たかはし)長者だけは人魚の肉を捨てずに家に持って帰り、とりあえず戸だなの中に隠したのです。

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 そして高橋長者には十五歳になる娘がいたのですが、この娘は長者が眠ってしまった後で、こっそりその肉を食べてしまったのでした。

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 人魚の肉を食べた娘は、年頃になると色の白い美しい娘になりました。

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 やがて結婚をして時が流れ、夫は老人になっていきましたが、どうした事か嫁は若くて美しいままなのです。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 その美しさに夫が死んだ後も求婚者は後を絶たず、とうとう三十九人もの男に嫁入りをしたのでした。
 その間、夫や村人が次々と死んで行くのに、女は年を取る事も死ぬ事もないのです。

八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 人々は、
「年を取らんのは、人魚の肉を食べたからじゃ。あの女は人魚の肉を食べて、化け物になったのじゃ」
と、噂をしました。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 そして誰からも相手にされなくなった女は、一人ぼっちの悲しさに尼の姿になって、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)に出たのです。



八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 そして行く先々で良い事をしながら

白い椿(つばき)を植えて歩き、

やがて古里(ふるさと)に帰ってくると、


八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)

 浜辺近くのほら穴のそばに白椿(しろつばき)の木を植えて、その中に入ったきり出てくる事はありませんでした。


おしまい









『鵜ノ瀬』…『櫻ミッション特別編』






キラキラつばきキラキラ






















『不老不死』。。

『永遠の美』。。。


 もちろん、夫は彼女を愛してくれ、とても幸せな毎日だったのですが、
やはり、またまた一年ほどで、2度目の夫も、老人のような姿になって死んでしまうのです。

そして、3度目も、4度目も・・・
やがて、この頃になると、さすがに
嫌な噂が囁かれるようになります。

「あの娘は男の精気を吸い取る鬼女だ」
「夫を死に追いやる女狐だ」などなど・・

さらに、娘自身も、その異変に気づき始めます。

そうです・・・あの初々しかった一度目の結婚の時から、4度目を終えた今・・・・
何年もの時が過ぎているはずなのに、
自分の顔は相変わらずあの娘盛りの頃のまま。

もちろん、肌も10代のみずみずしさを保っています。

確かに、彼女は、時々
「いつまでも若いわね~うらやましいわぁ」
と、近所の奥さんに言われるけど・・・
それとは明らかに違う何かが、彼女には存在します。

“ 歳をとる ”・・・というのは老けるという意味だけではなく、結婚生活を続けていく中で、それとなく奥さんらしいというか、
大人の女へと変化していくはずなのに、
彼女には、それがありません。

彼女は、自分自身の中に、なにやら得体の知れない恐怖を感じ、思い悩みはじめます。

そして、何日か悩んだ末、彼女は一大決心をします。
「出家しよう・・・尼になって、男性との交わりを一切捨て、全国行脚して身を清めれば、何か道が開けるかも知れない」と・・・。

ある朝、両親には何も告げず、1人、尼寺のある山へと向かい、彼女は尼となり、
やがて全国行脚の旅に出るのです。

熊野権現をはじめ、各地を渡り歩く彼女でしたが、そこは、まるで別天地でした。

なんせ、誰も彼女の事を知りませんから、
どこへ行っても、17~8歳の若い尼として迎えられ、何も不思議がられずにすみますから・・・。

そうこうしているうちに、
彼女は『踊り念仏』の一行に出会います。

一遍上人。。が始めた『時宗』(じしゅう)を広めるための『踊り念仏』・・・
何も考えず、トランス状態となって踊り狂うその姿に魅了された彼女は、しばらく一行とともに、『踊り念仏』の輪の中で、全国行脚を続けていきます。

しかし、こうして、親しくなって旅をともにするようになると、やはり、再び、他人との差を感じずにはいられませんでした。

暑い夏、寒い冬・・・踊り念仏を続ける中、ある者は、崖から落ちて亡くなり、ある者は疫病で倒れ・・・
しかし、娘は、いつまでたっても17歳のあの頃のままで、どんなに疫病が流行っても、
病気にかかる事すらありませんでした。

やがて、年上はもちろん、年下の者まで、
彼女は看取る事になります。

「私は、人を見送るばかり・・・
私には終わりはないのだろうか・・・」

そう思うと、なんだかむしょうに故郷が恋しくなって、彼女の足は、思わず故郷のあの村へと向きました。

もう、何年、いや何十年も経っているでしょうが、彼女には、その年数すらわかりません。

やがて、自分の生家のあった場所に来て、
彼女は目を疑いました。

荒れ果てた土地だけで、屋敷の面影すらなくなっているのです。

確かに、彼女は一人娘でしたから、跡取りがいなくなって、家が没落したのかも知れませんが、たとえ荒れ放題になっていたとしても、あれだけのお屋敷の跡形くらいは残っていてもよさそうなものです。

近くを通った老婆に訪ねます。
「昔、ここに、大きなお屋敷はありませんでしたか?」と・・・

すると老婆は、
「あたしゃ、生まれた時から何十年もここに住んどるが、この場所は、子供の時分から、こんな感じの荒れた土地だったさ・・・」

娘は、やっと気づくのです。
「自分が思っている以上に、
年月は過ぎているのだ」と・・・

とぼとぼと歩きはじめた彼女は、薄い記憶をたどりながら、幼い頃、友人と隠れ家にして遊んでいた洞窟へと向かいます。

そこは、昔と変わらぬ姿で残っていて、
少し安心した彼女・・・ただ、幼い頃は、
自分の背丈ほどもなかった椿が、見上げるほどに生長して、その洞窟の前に美しい花を咲かせていました。

暗い洞窟の中に入り、冷たい石の上に正座して、静かに目を閉じた娘・・・その姿のまま、一切の水と食糧を断ち、ただひたすら念仏を唱えるのです。

やがて、何日か経ち、とうとう彼女は絶命
・・・その800年の生涯を閉じたのでした。



・‥…━━━☆

室町時代の文献・『中原康富記』には、
文安6年(1449年)5月に、京都に八百比丘尼が現れて大騒ぎになった事が記されていたり、その他にも、各地には、比丘尼が植えた木や、足跡の残る石などもあり、
当時は、現実にあったかように伝えられているこのお話ですが、おそらくは、旅の尼や巫女などが、たまたま美しいがために、そのように噂されたり、あるいは、自称して全国を行脚して回ったりしたのでしょうが、
それらの、諸国を巡り歩いた尼によって、この伝説が各地に伝わったものと思われます。

この最後の
岩屋に籠って自ら命を絶つシーンは、
橋を渡っている最中に転倒して死んだという物や、他にもいくつかのパターンがあるようですが、いずれも、お話がハッピーエンドで終る事はありません。

本来、『不老不死』は、あらゆる人の夢であり、それは、時代が変わっても不変の物であるはず・・・しかし、この昔話は、必ずしも、それが幸せではない事、不老長寿が、ただ単に、人間の無いものねだりである事を教えようとしてくれているのかも知れません。
 









 
西暦645年、『若狭の勢村』
(現在の小浜市勢)の長者の家に、
美しい姫が生まれた。
姫が16歳のとき、父が竜宮のおみやげにもらってきた「人魚の肉」を食べてしまった。
すると、そこからまったく歳をとらなくなってしまった。









『竜宮で人魚が調理されている絵』。
空印寺に伝わる掛け軸のコピー(一部)より




120歳のときに、髪をそって尼の姿
「比丘尼(びくに)」となり、
諸国巡遊の旅に出た。
最後は、生まれ故郷の『若狭』にもどり、
「空印寺」の脇にそびえる
『後瀬山』(のちせやま)の山のなかに
庵を建てて暮らしていた。

一般的には、ちょうど800歳になったころ、洞窟に八百比丘尼がみずから『入定』したといわれているが、「空印寺」に伝わる話はすこしちがう。
空印寺第5代の住職の夢枕に
八百比丘尼の霊がたち、
「魂のよりどころがなく苦しんでいる。
助けてください」と懇願。
当時の住職が、冒頭の洞窟に名前を彫った石を安置したところ、静まったと伝えられているそうだ。
八百比丘尼は『後瀬山』のどこかで
最期を迎えたことになっている。