国歌『君が代』

以下、引用/参考資料: wikipediaほか


1.  『君が代』の歌詞の由来

作者は文徳天皇の第一皇子惟喬親王
(注釈 9世紀後半、平安時代前期)に仕えていた
ある木地師(きじし
=ろくろを使って木材をくりぬき,
『挽き物』と呼ばれる日用器物や漆器のきじをつくる職人のことのようです)で、
当時は位が低かったために
“詠み人知らず ”として扱われる。
しかしこの詞が朝廷に認められたことから、
詞の着想元となった『さざれ石』にちなみ、
彼は「藤原朝臣石位左衛門」の名を賜ることとなる。

歌詞の出典はしばしば『古今和歌集』
(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、
読人しらず、国歌大観番号343番)とされるが古今集のテキストにおいては、
始まりが「わが君は…」であった。

我が君は 千代にやちよに 

さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

『和漢朗詠集』においても古い写本は
「我が君」となっているが、
後世の版本は「君が代」が多い。
「我が君」から「君が代」へと変遷していったらしい。

元々は年賀のためであったこの歌は、
鎌倉期・室町期に入ると、
おめでたい歌として賀歌に限られない使われ方が始まり、色々な歌集に祝いごとの歌として収録されることになる。

一般には『宴会の最後の歌』『お開きの歌』『舞納め歌』として使われていたらしく、
『曽我物語』の曽我兄弟や
『義経記』の静御前などにもその例を見ることができる。




【現代語訳】:

愛しいあなたよ

あなたを愛する気持ちは
例えるなら小さい石が集まり
やがて大きな岩の塊となり
さらにそれに苔が覆い尽くすように








『君が代の』…
「き」は男
「み」は女 …

男と女が固くひとつになり
苔のむすまでもずっと…

という深い意味もあるようだが、
やはり恋のうたですね。



『キ』と『ミ』。。ハート
↑↑ これは以前にも‼️…当ブログで。。ハート




2.  『君が代』の曲(メロディー)

君が代のメロディは、
『明治維新』の開国後の1869年(明治2年)
イギリス軍の楽長
(イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の
軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン)
より、
『国歌』の必要性を指摘されたことを発端とし、それから10年あまりの月日を経て、
最終的には1880年(明治13年)
宮内省雅楽課にて、日本人の音感に馴染みやすい雅楽という日本固有の音楽に基づいて作曲されたメロディが選ばれた。
また歌詞については『蓬莱山』と呼ばれる
琵琶歌に含まれる『君が代』が選定され、
ここに『国歌』としての
『君が代』の曲と歌詞が完成したのです。

1880年10月26日に軍務局長上申書である
『陛下奉祝ノ楽譜改正相成度之儀ニ付上申』が施行され、11月3日の『天長節』にて初めて公に披露された。

その後の1893年(明治26年)8月12日には
文部省が『君が代』等を収めた
『祝日大祭日歌詞竝樂譜』を官報に告示。
林廣守の名が作曲者として掲載された。

1903年(明治36年)にドイツで行われた
「世界国歌コンクール」で、
「君が代」は一等を受賞した。

注釈: 
終戦の頃まで「第二国歌」や「準国歌」とも言われるものが「海行かば」であった。

 

 
本足跡
























































『 HINOMARU 』