「悪王子社」


八坂神社摂社
「悪王子社」(あくおうじしゃ)

【御祭神】
素戔嗚尊の荒魂


『御由緒』

「悪王子社」は、八坂神社の第二摂社。
現在は八坂神社境内に鎮座するが、
元は東洞院四条の『元悪王子町』にあった。
その創建は「八坂神社」の
『大政所御旅所』と同じ伝承に基づく。

天延2年(974)
京に住む“秦助正”という
長者の夢に神が現れて
「我は悪王子である。
汝の家を影向の地とせん。
二十日後には祇園大神がその居宅に神幸されるから速やかに朝廷に奏問せよ」と告げた。
翌朝、庭の塚から蜘蛛の糸が延びて
『祇園社』に至っているのを見つけ、
朝廷に奏上すると、円融天皇も同じ夢を見ていた。
そこで、東洞院大路・烏丸小路・
高辻小路・四条大路に囲まれた助正の
広大な邸宅を『御旅所』として寄進し、
『大政所』と称して神殿を建立したという。
『悪王子社』はその一角にあった。

豊臣秀吉の命による『大政所御旅所』
の四条京極への移転に伴い、
天正18年(1590)
烏丸五条の『悪王子町』に遷座した。
慶長元年(1596)
四条『御旅所』の東側へ遷され、
さらに天明8年(1788)の大火の後、
四条通祇園町大和大路ノ角に移転した。
明治10年(1877)
八坂神社の境内に遷され、現在に至る。

「八坂神社」の境内、
「美御前社」と『忠盛燈籠』の間に鎮座する。「悪王子」の「悪」は
善悪の悪ではなく、
力が強いとか勇猛なという意味。
平成10年(1998)には
旧鎮座地の『元悪王子町』にも
社殿が再興されているという。

 




【名称】
悪王子社

【御祭神】
素戔嗚尊の荒魂
〔すさのおのみことのあらみたま〕

【鎮座地】
京都市祇園町北側625番地

【創建年代】
天延2年(974)

【社格等】
旧官幣大社八坂神社摂社

【例祭】
6月15日

本足跡




『惡』


荒魂 ‼。。






















『元悪王子』。。















京都市下京区にある
「悪王子神社」(あくおうじじんじゃ、
『元悪王子社』)。

八坂神社の摂社である悪王子社の
旧鎮座地に再建された神社であり、
『元悪王子町』の由来となったとされています。




『由緒』

由緒書によれば、八坂神社の摂社として
天延2年(974)に東洞院通四条下る
の西側に創建された神社であり、
八岐大蛇を倒した素戔嗚尊(スサノオ)の偉業を讃えて その“荒御魂”を祀ったことに始まるとされています。

なお、創建当時は『承平天慶の乱』
によって非業の死を遂げた死者の怨念によって疫病や災害が相次いだとされ、
“それらを鎮める目的”で行われた
『祇園御霊会』
(現在の『祇園祭』)の際には、
当社で『神供式』を行った後、
“此処から巡業の列を作った”のだそうです。

その後、『祇園御霊会』の形式が
“疫病発生の予防のために行われる”ようになると、巡業の無事を祈願する神社に変わって行ったとされています。

また、豊臣時代には秀吉の命によって
烏丸五条に移転され、そこを『悪王子町』とし、旧鎮座地を『元悪王子町』と呼ぶようになったとされ、
さらに時代が下って明治に入ると、
『神仏分離令』の影響で「八坂神社」
の境内に移転することになったそうです
(現在は八坂神社の摂社として
境内に「悪王子社」がある)。

そして、この『元悪王子社』は
町のシンボルとして祠が再建され、
平成10年4月に再び祀られることになったとされています。

本足跡









荒御魂 ‼️









『悪王子社と祇園祭』

「悪王子神社」は
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
の荒御霊(アラミタマ)が祀られています。
素戔嗚尊の御魂をお祀りする
八坂神社の摂社として天延2年(974年)に、
東洞院通四条下る西側に建立されました。

『古事記』や『日本書紀』の中に記されていますように、
出雲の国の肥河(ヒノカワ)の川上で
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治された
素戔嗚尊の勇猛心と、困難に立ち向かって運命を打開する王子様を尊敬して
"悪王子"の称号を贈り、
その若き時の勇猛心を持つ御霊を
荒御霊と申してお祀りしたのが
「悪王子神社」であります。

その当時は
第64代 円融天皇の御代(969~984年)であり、『平将門の乱』(935~941年)や
『藤原純友の乱』(939~941年)などの影響で地方の国々が乱れ、その度の出兵では多くの戦死者を出し、また罪人の処刑も行われました。
そのため、これらの人々の霊が鎮まらず、
その祟りとして疾病や災害が起きると考えられたのです。

なお、947年には
疱瘡(ほうそう、天然痘と同義)が、
957年には頸部腫瘍(けいぶしゅよう)
が大流行し、また、風水害も相次いで大被害を蒙ったとされています。

これらは怨霊のためであり、これを鎮めるために『祇園御霊会』(ぎおんごりょうえ)が行われました。
これが“『祇園祭』の始まり”であります。
最初は疾病が流行する度に行われていましたが、次第に流行する前に祈るように変遷し、徐々に現在のような巡業の形態を為すようになりました。

また、勇猛心のある荒御霊で怨念を鎮めるべく建てられました「悪王子神社」も、
『祇園祭』の行列の無事を祈願する神様に変わって行ったのであります。
すなわち、この東洞院四条の辻にて
四方に斎竹を立て、注連縄(しめなわ)を曳き渡し、『神供式』を行った後、
この辻より巡業の列を作ったと
『祇園会起源』に記されています。

それが、豊臣太閤秀吉の命によって
神社を烏丸五条に移され後に当地を
『元悪王子町』とし、
移転地を『悪王子町』と呼ぶようになったとされています。
また、明治初年の『神仏習合の廃止』
(『神仏分離令』)により、
「悪王子神社」は明治10年に現在の
「八坂神社」の境内に鎮座されたのであります。

「悪王子神社」が我が町内のシンボルでありますれば、この地に神社があるのが本当でありますが、お祀りする場所が無くて諦めておりました。
そんな折、土地所有者の御好意によって祠が造られ、悪王子社として分霊を頂き、
平成10年4月にお祀りすることができました。


【祭神】

「元悪王子社」の祭神は以下の通りです。

【主祭神】

素盞鳴尊の荒御霊
(スサノオのアラミタマ)
 → スサノオの若かりし頃の
勇猛心を持つ御霊であるとされる
 → 八坂神社の悪王子社も
同様の祭神であり、その分霊とされる


本足跡







『祇園御霊会』。。

『祇園祭』。。