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能登町。。

珠洲市。。








↑↑ 『目的地』↑キラキラ

到着‼️…ラヴねこやん!!汗汗
(こんなに遠いとは⁉️…汗
思ってた以上に遠かった‼️。。笑汗)











そう。。ここ‼️…には、
とある目的‼️…があって。。やってきた!!キラキラ

『日にち。時間。』を予約して‼️…なので
この日の‼️…決まった時間に到着しなくては‼️
ならなかったのだ。。足跡!!


決まった時間に行く。。
↑↑
実は、これ‼️。。苦手です…うっとりねこやん苦笑

※ 俺の予定の組み方。。は、
その日に行く、『目的地』を
何ヵ所。。行くか、決めて。。。
その行く順序を決めて。。。終わり足跡キラキラ

『何時から~何時まで‼️…ここに居て…』
とか、
『この3番目の目的地に。何時着で…』
など。。
そういった予定は、立ててない‼️。。笑
(だって‼️…そんなこと分からない。)

その道々の途中では‼️。。
『寄り道』が、どれだけあるか⁉️分からないし。。。ラヴねこやん笑キラキラ

時間の予定は‼️…立たない‼️キラキラキラキラ↑


でも。。。時間を予約してあるので・・

この日は、予定…『目的地』をあまり詰め込まず。。余裕をもって、、早めに到着できるように。。。。と


(それで。。だいぶ余裕がありそうだったので‼️。。いろいろ『寄り道』をし…笑)

そしたら‼️…?と!?と!

ここ!!!!めちゃめちゃ遠かった‼️…発見ねこやん汗



















「須須神社」 

『史実と伝説』
義経の妻は『能登大谷の里』(珠洲市)へ
流された平時忠の娘であるといわれています。
そのため、珠洲市内には
義経にまつわる伝説が多く
『弁慶の守刀』、『義経駒の爪石』、
『義経の割石』、『山伏山』、
『義経の舟隠し』などがあります。

なかでも有名なのは
「須須神社」の『蝉折れの笛』でしょう。 

『蝉折笛縁起(せみおれのふええんぎ)』
によると、、
義経・弁慶たちは舟で安宅の関から、
三崎町の沖合までやってきたのですが大暴風雨にあい、舟がしずみそうになりました。 
このとき義経が三崎権現(みさきごんげん)
(須須神社)に向かって
「我等の難渋を救い給え」
と祈り続けると、
たちまち風がおさまったということです。
義経はこれに感謝して秘蔵の
『蝉折の笛』(白山神社参照)を
須須神社に奉納したということです。 

本足跡










『寺家キリコ祭り』


































































「須須神社」の。。樹々 木木木キラキラキラキラ





















































「須須神社」
 (珠洲市三崎町寺家鎮座)


《縁起》

【御祭神】
『高座宮』
 天津日高彦穂瓊瓊杵尊 
(あまつひだかほこににぎのみこと) 
 美穗須須美命
 (みほすずみのみこと)
 
『金分宮』
木花咲耶姫命
(このはなさくやひめのみこと)


 当社は「高座宮」・「金分宮」の両社に
ご夫婦の大神を祀り、『須須神社』 と称し
『三崎権現』・『須須大明神』と尊崇され、
東北鬼門日本海 の守護神として、
あまねく信仰され、災難除けの
御神徳あらたかな御社であります。

 第十代崇神天皇(約二〇〇〇年前)の
御代能登半島最東北端の山伏山
(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座 した国史現在社・延喜式内社であります。

 古代より縁結びの神として、世に知られており、この『むすび』とは
単に男女の仲を結ぶだけでなく生成化育
、修理固成という日本民族の根本精神である神業を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び
子孫繁栄の道を示し教えられた
尊い祖神(おやがみ)様であります。

大御稜威( おおみいつ)あらたかな
日本海の守護神とし、古くから
『三崎大権現』 として深く信仰されています。



《宝物》
『木造男神像五躯』(国重要文化財)
 鎌倉時代のもので、素朴でいずれも表情を異にし写実美をおびた衣冠束帯の座像です。

『社叢』(国の特別天然記念物)

『蝉折れの笛』と『守刀』
(義経の笛を弁慶の守刀)
 文治三年(一一八七年)源義経が
兄頼朝に追われ奥州平泉へ下向 の際、
須須岬沖合で時化に会い無事難をのがれた御礼として、平家の名宝とも伝えられる
義経愛用の笛
と弁慶が寄進した「左」銘入り の守刀です。


『前田利家公献詠』
「ほうくわん殿この笛を
このすずのやしろにささげ給へとなん 
ありしよのそのあらましをきくからに袖さへぬれてねにそなかるる」


『法華経八巻』
 文明一二年(一四八〇年)蓮如上人の
奥方真如院(幼名蓮能)が一 六歳の時、
父の七回忌を祈念し納経されたものです。

 他、翁面(古珠洲焼)、隠切支丹崇拝像、
古文書(県指定有形文化財) 七〇余通があります。

本足跡



































珠洲。。

須須。。。

須須を見る神。。。


『珠洲』スズ鈴







そして。。キラキラキラキラ

そう‼️…一番の目的は‼️。。これ ↓↓





『義経・弁慶の献詠』

 「都より波の夜昼うかれきて

   道遠くして憂目みる哉」

 義経返歌
「憂目をば藻塩と共にかき流し

   悦びとなる鈴の御岬は」

本筆

「宝物館」の中に保存されてて。。
その「宝物館」は、常に開いてて
いつでも誰でも観られる。。
という状態ではなく。。足跡

「宝物館」は、閉まっている状態なので
前もって『宝物館の見学希望』を予約して

神社の方に案内してもらう。。というカタチ
キラキラキラキラ
いろいろ説明、お話しもしてくれます鳥居キラキラ


※ 「宝物館」内の写真撮影は、禁止です足跡
なので~。。
写真は、ありません‼️。。笑!!