結
剣
『手水舎』
諸々のなり出るもとは水の神
もらさてめくむ御祖なりける
『白山霊水』
白山比咩大神の霊水
霊水は北駐車場から鳥居を潜ってすぐ左手にあります。
この白山霊水は境内の地下百メートルからくみ上げた井戸水です。
PHは7.5と弱アルカリ性でコーヒーや水割りにもよくあいます。
蛇口がついていて無料で自由に汲むことができます。
大神様からのお恵みとされています。
譲り合ってありがたく頂戴しましょう。
シャガ。。
おっ⁉️…なんだ‼️。。
河濯尊大権現‼️
養老元年(七一七)に白山を「開山」
した泰澄でしたが、彼は、
加賀の白山本宮(白山比咩神社)においては、
『河濯命大権現像』を彫ってもいました。
「白山比咩神社」の社域駐車場横には、
伝・泰澄作の本尊を有する
「河濯尊大権現堂」が、
町の人々によって大切にまつられています。
『河濯尊大権現堂之由来』
当御本尊はむかしより“カハスソサマ”
と称へられて難病を御済いくださると信ぜられ殊に下半身の諸病には御霊験あらたかにして祈願参拝の人又御礼詣りの人、日に日に盛んなり。
伝説には泰澄大師御自作と謂と雖も往古より度々水火の難により大破損の為に信者之を大修繕を為す。〔中略〕
元は神社地内白山参道脇の小祠に鎮座ましましたが明治の頃二回の火難の為に此の処に遷したてまつり現在に至る。
遠近の敬信いよいよあつし。
然れば病魔の苦しみある人は一たび御参拝なされて病魔退散の御利益をいただきなされ。
ゆめゆめ疑う勿かれ。
河濯尊大権現は、
白山比咩神社(白山本宮)の
社地内白山参道脇にまつられていたものの、
「明治の頃二回の火難」にあい、
そのために現在地へと遷座してきたとされます。
また、「難病を御済いくださる」、
「殊に下半身の諸病には御霊験あらたか」
といった神徳も述べられています。
河濯尊の「濯」つまり「そそ(すそ)」は
「おそそ」にも通じるため、
ついには「下[しも]」の病の神とみなされたものですが、この神徳は、
各地の河濯尊(川濯神)の
多くに共通して伝承されているようです。
泰澄は、白山比咩神の本地仏(主尊)を
『十一面観音』とする一方で、
河濯尊(川濯神)を
まつる(像を作る)ことをしてもいました。
泰澄における、河濯尊(川濯神)、
つまり『瀬織津姫神』に対する崇敬の気持ちが並々ならぬものであったことはほかにも事例があります
(泰澄における
白山の本源神に対する深いこだわり)。
伝・泰澄作とされる河濯尊大権現像は、
泰澄時代(奈良時代初期)のものではありませんが、しかし、人々が河濯尊(川濯神)
をどうイメージしてきたかは、いくらかはその面影をしのぶことができそうです。
ここには禍々しい神(大禍津日神・
八十禍津日神)といったイメージはなく、むしろ対極というべきイメージで、これは造像されているようです。
一見女性地蔵尊ともみえる、このチャーミングな神像(本尊)は、やはり泰澄の抱くイメージでもあっただろうとおもいたいところです。
『くろゆりの里』
白山麓‼…鶴来‼の名産品がいっぱい
加賀獅子‼
『加賀獅子の由来』
『金沢市文化財紀要 48 加賀獅子』
「金沢における獅子舞の起源は定かではないが、その歴史は古い。
花園八幡町の波自加弥神社に、
室町時代の作と考証される麦喰獅子
(指定文化財)が現存するが獅子舞に使用されたか確かでない。
一説によると天正十一年(一五八三)
前田利家が入城したとき、獅子舞が行われたともいわれている。
文献で明らかなものは、小立野二丁目の
上野八幡神社の古文書には、
天明七年(一七八七)、庶民の芸能として
獅子舞が行われていたことが示されている。
すでにこの頃、庶民の芸能として獅子舞が行われていたことは事実である。
慶応年鑑卯辰山の天満宮建立に際しての祭礼に、各町が競演したのを期に激増したものという。」
『牛首紬』。。
※
加賀獅子(かがじし)は、
石川県加賀地方に伝わる伝統芸能。
1965年(昭和40年)に
金沢市の無形民俗文化財に指定された。
【概要】
金沢市をはじめ石川県加賀地方の
多くの獅子舞は加賀獅子と呼ばれている。
地域の風土や受け継がれた流派などの違いから、細部においてそれぞれ異なるが、
いずれも棒、刀、薙刀、鎖鎌等の武器を手にした「棒振り(ぼうふり)」が、
大きな胴体と頭を持つ獅子を退治をするという、いわば勇壮な「殺し獅子」が特徴となっている。
【獅子頭(ししがしら)】
加賀獅子頭は、大きな両眼が鋭く左右に広がった「八方睨(はっぽうにらみ)」といわれる独特な風貌を持ち、一角・牙・大きな耳が特徴とされる。
桐材などから一木彫りされ、白木のものから重厚な漆塗りのもの、大小もまた様々で、掌に乗るサイズのものから獅子舞に使用する大きなものまで、それぞれの用途に合わせたものがある。
獅子頭は古くから魔除け・厄除けなど縁起物として、調度品や祝いの贈り物などに広く用いられ、一町一基の守護として各町会が獅子頭を持ち、その豪華さを競い合ったという。
獅子頭を床の間などに飾る時は、
獅子の口に太刀を咥えさせる。
この場合、祝い事には太刀の刃を内側に、
必勝祈願などのときには刃を外側に向けるのが習わしとされる。
白山開山‼️…
1300年祭‼️
白山‼
重要文化財『絹本著色白山三社神像』
鎌倉時代の作。
中央が白山妙理権現(白山宮)の女神像、
向かって右は剣明神(金劍宮)の男神像、
左は三宮姫(三宮)の女神を配している。