住吉三神


住吉三神
(スミヨシサンシン)

【別名】
筒之男三神・隅江之三前大神・隅江三神・
住吉大神・大綿津見神・綿津見神


【概要】
海の神 
ソコツツノオ命(底筒之男命) 
ナカツツノオ命(中筒之男命) 
ウワツツノオ命(表筒之男命) 
の三神の総称。

イザナギがイザナミを死者の国
(黄泉の国)へと追いかけて行き、
腐乱死体となったイザナミを見て逃げ帰ってきて、地上で死者の国(黄泉の国)の穢れ
を海で洗い流した際に産まれた神。 


『海上交通安全の神』 
住吉三神は
大坂の住江(住之江)の豪族の氏神だったようで、朝鮮・中国との貿易が盛んになると
この地域は貿易港となって栄え、大和朝廷にとりたてられています。
『日本書紀』では、この地域の豪族の
津守氏は朝鮮の百済・高句麗や中国の唐にまで派遣されています。 

●天皇家の航海の守護神として祀られた。 

●遣唐使・遣隋使の船は住吉から出た。
住吉大社の宮司の津守氏が、出船の儀式を行った。 

●見えないのが神という日本の中にあって、
住吉三神は「姿を現す」神として、物語に出て来る。 

●一寸法師が産まれたのは、
両親が住吉神社に参った事から。



『物語・由来』
神功皇后に三韓出征を命じた神 

仲哀天皇が九州の反乱を治めていたとき、
神から神託がありました。
「西に金銀財宝の豊かな国がある。
そこを服属させて与えよう」
――この神託をしたのが住吉三神です。 
神の子を宿した神功皇后は
住吉三神の導きのままに朝鮮半島に向かいます。
海の魚が皇后の船を支え、追い風が船を勢いづかせると、そのまま地上に上がり、半島の中頃まで食い込んでしまいます。
それを見た朝鮮半島の王たちは神功皇后の力に驚き、貢物をする約束したといいます。


 
【性格・能力】
海上交通の安全だけでなく、漁業の神、
貿易・海運・造船・貿易。
神功皇后を一緒に祀ることが多いので
縁結び・子授け・軍神としての顔もある。


【引用】
住吉三神が産まれる 
水の底で身体を洗ったときに生まれた神が
底津綿津身神(ソコツワタツミノカミ)。
次に底筒之男命(ソコツツノオノミコト)。 

中ほどで成った神が
中津綿津身神(ナカツワタツミノカミ)。
次に中筒之男命(ナカツツノオノミコト)。 

水の上のほうで身体を洗ったときに
生まれた神が
上津綿津身神(ウワツワタツミノカミ)。
次に上筒之男命(ウワツツノオノミコト)。

三柱の大神の御名は顕れき 
「これはアマテラス大神の意思だ。 
また底筒男(ソコツツノヲ)・
中筒男(ナカツツノヲ)・
上筒男(ウハツツノヲ)の神だ」 

このときやっと三柱の神
(住吉三神のこと)の名前を知ったのです。 

「今から、ほんとうに、その国
(朝鮮半島)を求めるのならば、
天神地祇・山の神・河の神・海の神・
その他の沢山の神々に
『ぬさ(=神に捧げる物品)』を奉納し、
私の魂を船に乗せて、真木(植物の名前)
を焼いた灰をヒョウタンに入れて、
箸と平たい皿を作って、
すべて海に撒いて、海を渡るのだ」 

と言いました。

新羅国は御馬甘 百済国は渡の屯家 
これによって新羅は馬飼いの国と定めました。 
百済は海の出張所としました。 

そこで皇后は杖を新羅の国王の家の門に突きたてて、住吉三神の荒御魂(アラミタマ)
を祀って、国を守る神として鎮座しました。 

そして海を渡って帰りました。





『第五段一書(六)-4 海の神々 』

海の底で潜って身を洗って生まれたのが
底津少童命(ソコツワタツミ)です。
次に底筒男命(ソコツツノオ)です。 

潮の中で潜って身を洗って生まれたのが
表中津少童命(ウワナカツワタツミ)です。
次に中筒男命 (ナカツツオ)です。 

潮の上に浮かんで身を洗って生まれたのが
表津少童命(ウワツワタツミ)です。
次に表筒男命(ウワツツオ)です。





神功皇后(三)表筒男・中筒男・底筒男神 

「日向国(ヒムカノクニ)の
橘小門(タチバナノオド)の水底
(ミナソコ)に居る水葉(ミナハ=海草)
のように稚
(ワカヤカ=幼い=スクスクと)出る神、
名前は表筒男(ウワツツノオ)・
中筒男(ナカツツノオ)・
底筒男神(ソコツツノオ)の神がいます」






 
墨江三前大神
(すみのえのみまえのおおかみ)

【別名】
墨江神
:すみのえのかみ
住吉大神
:すみのえのおおかみ/すみよしのおおかみ
住吉三神
:すみのえさんしん/すみよしさんしん
三筒男神
:さんつつをのかみ

上筒之男命:うわつつのをのみこと
表筒男命:うわつつのをのみこと
磐土命:いわつつのみこと

中筒之男命:なかつつのをのみこと
中土男命:なかつちのをのみこと
赤土命:あかつつのみこと

底筒之男命:そこつつのをのみこと
底土命:そこつつのみこと


…… 
航海の神、漁業の神、海洋神
としての性格を持つ。
さらに柿本人丸、衣通姫と合わせて
和歌の神・和歌三神としても有名。


伊邪那岐神が
死の国の穢(けがれ)を祓うため、
筑紫日向の橘の小門の阿波岐腹で
禊(みそぎ)した時、 
水底で滌ぎ給うたときに底筒之男命、
中程で滌き給うたときに中筒之男命、
水の上で滌がれたときに上筒之男命が化生した。

『古事記』では、
底筒之男命は底津綿津見神の次に、
中筒之男命は中津綿津見神の次に、
上筒之男命は上津綿津見神の次に生まれた。

『古事記』では、
底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命
の三柱の神は、墨江三前大神と呼ばれるが、 
墨江とは住之江であり住吉のこと。 

『日本書紀』には、
住吉大神とあり、
住吉の神として祀られている。

上記の禊において、同時期に化生した
神直日神・大直日神・伊豆能売神
(あるいは八十枉津日神)と、
底津綿津見神・中津綿津見神・
上津綿津見神を合わせて
九柱の神を祓いの神とする場合がある。

「筒」はツチと同じで、
ツが助詞、チは美称とされているが、
その起源は定かではなく、 
土(垂加神道)、伝う(鈴木重胤)、
星(吉田東伍)、津之男(山田孝雄)、
対馬の豆酘(つつ)、帆柱の筒
などの諸説がある。

綿津見三神は阿曇連の奉祀する神々だが、
記紀には墨江三前大神が奉祀する氏族が記されておらず、 
『先代旧事本紀』には
津守連によって祀られた神とある。

神功皇后に神懸りして、
応神天皇の誕生を予言した神。
さらに神功皇后の三韓征伐を守護した神。








『住吉三神はオリオンの三ツ星』

住吉三神。
その三柱の神の名前。
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)

「筒」とは「星」の事です。
ですから、この三柱は
「上中下の三つの星」という意味になります。

『古事記』に。。
イザナギの命は橘の小戸の阿波岐が原で
ミソギながら、多くの神々を生んだあと、
「上の瀬は流れが速い。
下の瀬は流れが弱い。」と言って、
初めて中の瀬に潜ってすすぎました。
その時に生まれた神の名は、

   八十禍津日(やそまがつひ)の神。
   次に大禍津日(おおまがつひ)の神。
この二神は、そのけがらわしい国に
行った時の穢れによって生まれた神です。

つぎにその禍(まが)を直そうとして、
生まれた神の名は
   神直毘(かむなおび)の神。
   大直毘(おおなおび)の神。
   次にイヅノメの神。
次に水の底にすすぐ時に生まれた神の名は、
   底津綿津見(そこつわたつみ)の神。
   次に底筒の男の命。
中にすすぐ時に生まれた神の名は、
   中津綿津見の神。
   次に中筒の男の命。
次に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、
   上(うは)津綿津見の神。
   次に上筒の男の命。
イザナギの命が一人で多くの神々を生むシーンです。
イザナギの命は死んだ妻を追って
黄泉の国に行き、戻って来たあと、
このように海に入ってみそぎをしました。
三つの星の神はこの時に生まれています。

面白い事に、綿津見の神と交互に生まれて来ています。綿津見の神は海の神です。
ですから、底・中・上の星の神は
海から次々に生まれて来た事が読み取れます。

多くの本にはこの三神が何か分からないと書いてありますが、
これは『オリオンの三つ星』を指しています。

『オリオンの三ツ星』
岩波書店の古事記の注に
「筒」とは「星」で底中上の三筒男は、
オリオン座の中央にあるカラスキ星で
航海の目標としたところから、
航海をつかさどる神とも考えられる。

と書いてあります。
カラスキとはオリオンの三ツ星の和名です。




『住吉大社と三ツ星』
この三ツ星の姿を大地に写し取ったのが、
大阪の「住吉大社」です。
初めて参拝した時は
神殿が四つもあって大変驚きました。

まさか、三ツ星の姿が
そのまま、縦に並んでいるなんて。

オリオンの三ツ星をかたどったもの
だというのがよくわかります。
底筒男命が上にあるので、オリオン座が
昇って来る時の姿を表しています。

『神功皇后と三ツ星』
次に、神功皇后との関係を見てみましょう。
大阪の「住吉大社」では
住吉三神の横に神功皇后が祀られています。
福岡の「住吉神社」でも、
相殿に神功皇后と天照大御神が祀られています。

住吉三神と神功皇后はセットで祀られています。
この理由も『古事記』を読むと明らかです。
夫の仲哀天皇が神の教えを拒んだために
突然亡くなった後の話です。
神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、国中の人々の犯した罪や穢れを払う
大祓(おおはらえ)をしました。
(略)
この大祓を済ませると、
再び建内の宿禰の大臣がサニワとなって、
ご神託を求めました。
今度も、神が教え諭す様子は、
全く先日の通りで、
「そもそも、この国は、皇后のお腹の中に
宿る御子が治める国である。」
と諭されました。
そこで、建内の宿禰の大臣が言うには
「畏れ多いことです。我が大神さま、
今お懸かかりになっているお方の
お腹に宿る御子は男御子か女御子か、
どちらでしょうか。」
「男御子ぞ。」
とお答えになりました。
さらに詳しく尋ねました。
「今、このように教えられる大神の
お名前を知りたいのですが。」
と求めると、すぐにお答えになりました。
「これは天照大神の御心ぞ。
また、底筒男、中筒男、上筒男の
三柱の住吉大神ぞ。
今まことにその国を求めようと思うならば、
天の神や国の神、また、山の神、
川や海の神に、ことごとく御幣を奉り、
住吉大神の御魂(みたま)を船の上に祀り、
マキの木の灰をヒョウタンの器に入れ、
また、箸と柏の葉で作った皿をたくさん作って、それを皆大海に散らして浮かべて、渡るがよい。」
と言われました。

 そこで、詳しく教えられた通りにして、
軍勢を整えて、船を並べて、西の方の国に渡られると、海原の魚、大小を問わず、
ことごとく御船を乗せて進みました。
その上、追い風も吹いて、御船は波が寄せるのに任せて行きました。
その御船を乗せた波は新羅の国に押し上がって、完全に国土の半分まで達しました。

神功皇后が神懸かりをした時に
降りた神々は天照大御神と住吉三神でした。
この神の教えの通りにしたら、
戦う事もなく新羅の国を帰順させる事が出来ました。
新羅王が降参したので、その王城の門に
この住吉三神の荒御魂を鎮めて来たように書かれています。
これは『古事記』の中の話なので、
『日本書紀』ではまた少し違っています。

こうして住吉三神はオリオンの三ツ星
という航海の守り神となり、
そして、戦争の勝利に導いた神となり、
禊の中で生まれた事から禊の神となりました。

この話の背景を考えると、
オリオンの三ツ星をシンボルとする海人族
の協力で戦ったのが見えて来ます。
それが住吉族という海人族だと思います。

住吉三神(住之江の神)


「志賀海神社」
龍の都と呼ばれた海神の宮
―住吉三神はオリオンの三つ星

「志賀海神社」
沖津宮と小戸 
住吉三神が生まれた聖地

「日若神社」 
イスケヨリ姫との結婚の背景
          
姫の名前には古代鉄の暗号が。



『住吉三神を祭る主な神社』

福岡市博多区住吉(筑前国一の宮) 
三神の和魂をまつる。
例祭10月13日

下関市一宮 (長門国一の宮)   
三神の荒魂をまつる。
例祭12月15日

大阪市住吉区住吉(摂津一の宮)  
三神と神功皇后をまつる。
例祭6月30日

壱岐市              
三神の和魂をまつる。
例祭11月9日。


本足跡










『住吉明神』

表筒男命(うはつヽをのみこと)
中筒男命(なかつヽをのみこと)
底筒男命(そこつヽをのみこと)

 伊弉諾神が黄泉国の穢に触れ給いたるに因り、
橘小門(をど)之阿波岐原にて禊祓を
為られ給える時に成り出で給える神である。
順に、磐土命、赤土命、底土命とも申す。

 『古事記』によると、
「・・・上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱しと
詔りごち給いて、初めて中瀬に随(お)りかづきて水底に滌ぎ給う時になり坐せる
神の御名は底津綿津見神、次ぎに底筒男命、
中に滌ぎ給う時になり坐せる御名は
中津綿津見神、次ぎに中筒男命、
水の上に滌ぎ給う時になり坐せる御名は
上津綿津見神、次ぎに上筒男命、
此の三柱の綿津見神は
安曇連等が祖神と以ちいつく神なり。
故安曇連等はその綿津見神の子、
宇都志日金析(うつしひかなさく)の子孫なり。
その
底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神は、
墨江の三前(みさき)の大神なり」
としてある。

 御名義、筒はツチで、
ツは助詞のノに同じく、
チは男子の美称で、これを表中底に区別したのは単に生まれ坐せる所によって
表の神、中の神、底の神という程の意である。

神名考にはツチは土で
海中の土に負わせ奉れる名であると言っている。
又一説にツツ金星、即ち明星をユフツツ
というツツと同じく星の意味で、
星が航海進路の標準であることから
海路の神として祀られたのであるとも言う。

 表筒男、中筒男、底筒男の三神は、
神功皇后が三韓を征ち給わんとする際、
又皇后筑紫より船にて難波への帰途など、
専ら航海の事に神威を顕わし給えるにより、
古くより海上守護の霊神として崇められる様になった。

 各地の住吉神社は総てこの神を祀り、
上古は一般にスミノエと訓んだのであるが、
何時の間にかスミヨシと訓む様になった。
此の三神を住吉大神、
また墨江之三前大神とも言うのは、
神功皇后が新羅を討ち凱旋せられた後、
この神々の御託宣により、
大津渟中倉(ぬなくら)之長峡(ながを)
に此の神々を祀り、その地を墨江といい、
後に住吉と改めたに因るのである。

 此の神々は海上守護の神として
漁業航海の人々に尊崇されるのみならず、
また和歌の神として信仰されている。
信仰の根本は伊勢物語から来て、
後世盛んに歌神として尊崇された。

(『伊那の御祭神(小笠原賢太郎著)』
より抜粋本足跡