龍龍シャボン玉シャボン玉






















































壇ノ浦 ”。。

みもすそ(御裳)川は、
国道9号線の下で壇ノ浦に注ぐ小さな谷川
である。
みもすそ川公園」は国道と海岸線の間に
挟まれ、対岸まで大きく弧を描く関門橋の
下にある風光明媚な景勝の地である。

文治元年(1185)3月、海峡の東側海上で
源平合戦が行われ、最後にここ壇ノ浦沖で
勝敗の帰趨が決まった。

二位尼
(清盛の妻で安徳天皇の祖母:時子)は
8歳の天皇を抱き、三種の神器を身につけて
入水した:













安徳帝御入水之処』


二位尼辞世




  いまそ知る

  みもすそ川の

  御なかれ

   波の下にも

   都ありとは















平 知盛‼






源 義経‼






















源平の合戦場跡』で、寿永4年(1185)
源氏と平家の最後の戦いとなった
壇ノ浦合戦』の跡。

二位尼に抱かれた安徳天皇はわずか8歳に
して壇ノ浦の海へ入水し、平家は滅亡しました。
この後、源氏は鎌倉幕府を開き、江戸時代
まで続く武家社会を始めます。

古戦場を眼前に臨む、みもすそ川公園内
には源義経・平知盛両雄の像とともに、
像の除幕式に参加された
滝沢秀明さん(NHK大河ドラマ義経役)
中越典子さん(同 建礼門院役)の
手形などが設置されています。






時代】

平安末期  1185年

所在地】

〒751-0813
山口県下関市みもすそ川町1番

本足跡





































































































ふるさとの言い伝え…
壇ノ浦に消えた宝剣』

  
下関市市報『みらい』2003/3/15号より



 寿永4年(1185年)、壇ノ浦で
源平最後の合戦が繰り広げられ、
敗れた平家は滅んでしまいました。

このとき、幼かった安徳天皇は
二位の尼に抱かれ、三種の神器
(天皇の印として伝えられる三つの宝
・・・鏡、剣、まが玉)のうち、
剣とまが玉とを持ったまま、
壇ノ浦に身を投げられました。

 中でも剣は
天叢雲(あめのむらくも)の剣』と
いって、いわれのある剣でした。
当時政治を執っていた後白河法皇は、
海峡をくまなく探させましたが、
どうしても見つかりません。

 そこで、潜りがうまいと有名だった
壇ノ浦の海女に調べさせることにしました。
さっそく海女は海に潜りました。

すると海底に、竜宮城が建っているでは
ありませんか。
海女が恐る恐る竜宮城に入ると、
奥から恐ろしい大蛇が宝剣を口にくわえ、
幼い子供を抱えて出てきました。

 大蛇はこう言いました。
「私は竜宮城の大王である。この宝剣は、
もともと竜宮城の大切な宝物であった。
ところが、以前、次郎王子というものが、
宝剣を持って陸に上がり、八つ首の大蛇
となって人を飲みだした。
そこに、スサノオノミコトが現れて、
八つ首の大蛇は退治され宝剣は奪われて
しまったのだ。
その後、宝剣の持ち主はいろいろと変わった。
そのたびに宝剣を奪い返そうとしたが、
いずれも失敗に終わってきた。
しかし、このたびは安徳天皇の姿を借りて、
源平の合戦を起こし、ついに宝剣を取り返すことができたのだ。

私が口にくわえているのは、
まさにその宝剣だ。
そしてこの子供は安徳天皇である。
平家一門も皆、この竜宮城におる」。

そして最後に大蛇は
「この宝剣は永久に私の腹に入れておく」
と言うなり、
剣を飲み込んでしまいました。

 壇ノ浦に沈んだ宝剣は、その後もたびたび探され、その回数は20回にも及んだと
いわれていますが、結局見つかりませんでした。
   




本足跡







。。ラヴねこやん笑キラキラキラキラ












『壇ノ浦の戦い。。
http://ameblo.jp/1994199820022006/entry-12143241004.html






『壇ノ浦』※
http://ssecret.ameba.jp/1994199820022006/amemberentry-12237776564.html














見るべき程の事は全て見つ。。

‼ …














































長府の中心を流れる壇具川。。

長府の東海岸。。

壇之浦 。。




壇之浦…。。

響灘沿岸の綾羅木海岸あたり。




壇具川…。。。綾羅木川。。。



綾羅木川・穴門国

綾羅木海岸
「穴門豊浦宮」。。





二位尼辞世の句。。
“御裳(みもすそ)川”の地名の由来になっている…

御裳濯(みもすそ)川』とは、伊勢神宮に流れる五十鈴川 の別名でもある。




「忌宮神社 」。。

長府の沖合い。。
『壇うら』……長府沖。。。