龍龍シャボン玉シャボン玉




















勾玉』。。。キラキラ











「玉祖神社」




周防国一の宮は、山口県防府市にある
玉祖神社(たまのおやじんじゃ)です。

玉祖神社は、
人里の中に溶け込んでたたずむ閑静な神社
で、多くの一ノ宮のように、たくさんの
参拝客が訪れ、門前町にお土産屋が立ち
並んでいたりするわけではありません。

しかし、さすがは一之宮。
玉祖神社は、平安時代の『今昔物語集』で、
全国で初めて「一ノ宮」と記され、
当時から格の高い神社であったことがわかります。
それもそのはず、玉祖神社は日本神話の
有名なエピソードに縁のある神社なのです。







玉作り』の神様】

玉祖神社の神紋玉祖神社の御祭神は、
玉祖命(タマノオヤノミコト)。
その名が表す通り、玉作りの神様です。

眼鏡・カメラのレンズや宝石を「玉」と
呼ぶことから、これらの業種に御利益が
あるとされ、毎年4月の『玉の祭』には、
全国から眼鏡店や貴金属店が集うそうです。

しかし、玉祖命が作ったのは、
もっと特別な玉。

天皇家に伝わる三種の神器のうちのひとつ、
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』を作ったのが、玉祖命なのです。

玉祖神社の神紋(神社の紋章)も、
勾玉を象ったものでした。








天岩屋戸隠れ』】

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』
は、日本人なら誰でも聞いたことがある
「天照大神の天岩屋戸隠れ」に登場する
アイテムです。
「天岩屋戸隠れ」は細かいところで諸説
あるものの、まとめるとだいたいこんな感じです。





天岩屋戸隠れ』

暴れん坊のスサノオの狼藉に業を煮やした
アマテラスは、天岩屋戸の中に引き籠もってしまいます。
太陽神がいなくなり、暗闇に包まれた
世の中では、邪神が暴れて大騒ぎ。

そこで一計を案じたのが、
知恵の神であるオモイカネノカミ。

アマテラスを外の世界に呼び戻し、
再び太陽を輝かせるために、神々の大作戦
が始まります。

まず、イシコリドメに鏡を作らせ、
タマノオヤに勾玉の飾りを作らせると、
アメノコヤネは祝詞をあげて太陽を褒め称え、
アマテラスを喜ばせます。

さらに、鶏の鳴き声にあわせて
アメノウズメが踊ると、
外の賑やかな様子が気になったアマテラス
は顔をのぞかせます。

鏡に映った自分の姿を見て不思議に思っていると、
力自慢のアメノタヂカラオが天岩屋戸から
引っ張り出し、
その隙にアメノフトダマが注連縄で入り口
を封印してしました。

これにて世の中には再び太陽が照り、
明るい世界が戻ったのでした。

このエピソードに描かれるアマテラスは、
かわいいですよね。
ひとつひとつの行動が、妙に萌えるっていうか。
自然神だけに、天然キャラなんでしょうか。

しかも、さすが日本神話を代表する大作戦
だけあって、一ノ宮級神様のオンパレード
です。


アメノコヤネは河内国・枚岡神社」、

イシコリドメは美作国・「中山神社」、

アメノタヂカラオは越中国・「雄山神社」


アメノフトダマは
阿波国・「大麻比古神社」の神様たち。

そしてもちろん、タマノオヤは
玉祖神社」の御祭神です。

本足跡






のこのこ















黒柏発祥の地』

天然記念物・黒柏玉祖神社の境内には、
数羽の鶏が飼われています。
光沢のある漆黒の羽に、
精悍な顔のかっこいい鶏。


この鶏は、天然記念物の「黒柏」。

社伝によれば、天岩屋戸隠の時、
常世長鳴鳥を集めて鳴かせたのがこの黒柏
で、その後、玉祖命がこの鶏を連れて、
この地に留まられたそうです。

神社と鶏というのは、縁の深い組み合わせ
なんですね。



本足跡





















































































寿永3年正月21日、木曽義仲の一党が
琵琶湖湖岸粟津の戦いで滅びます。

同29日、後白河法皇は範頼、義経両名に
院の御所六条西の洞院にて
平家追討の院宣を下します。

「すぐに西国に下り、
平家一門を追討せよ!」

「ははっ」





三種の神器』。。

その時、後白河法皇が付け加えます。

「わが国には神代の昔より伝わる三つの
宝物がある。
平家追討とともに、この三種の神器を、
かならず奪回するように」


三種の神器。
草薙剣(くさなぎのけん)、
八咫鏡(やたのかがみ)、
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、
神話の時代から現在まで伝わる三つの宝物
です。

今上天皇も昭和64年1月7日昭和天皇の崩御
にともない
剣璽等承継の儀』
(けんじとうしょうけいのぎ)で
践祚されました。

(『剣璽』は
草薙の剣と八尺瓊勾玉をあわせた言い方)

この時、今上天皇の前に
草薙の剣と八尺瓊勾玉とを置いた箱が
置かれました。

もっとも現在皇居にある三種の神器は
大昔から伝わっている
オリジナルではなく、「形代」といって
オリジナルの霊力をこめて
かたどりしたものです。

箱に入っていて、天皇すら見ることは
許されていません。
だから中を確認することはできません。

コッソリ中を覗いた人が
たちまちに目がつぶれた、
なんて話も残っています。

オリジナルの三種の神器は現在、
草薙の剣は「熱田神宮」に、
八咫鏡は「伊勢の神宮」に、
八尺瓊勾玉は「皇居」の天皇の寝室の隣・
「剣璽の間」に
保管されているということです。


しかし、いずれも確認する方法はありません。





草薙の剣の由来】

草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉、
それぞれに言われがあります。

たとえば草薙の剣は、
もと天叢雲剣と言いました。

神話の昔、
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治
した時に、
ヤマタノオロチの尾から出てきたといいます。

ヤマタノオロチの頭上にはいつも
どよどよと雲がかかっていたので
天叢雲剣』と名付けられました。

12代景行天皇の時代、
景行天皇の皇子
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が
東征するにあたって、
叔母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)より
天叢雲剣を授けられます。


しかしヤマトタケルノミコトは
東征の途上、
相武国(さがむのくに)の草原で敵から
火を放たれます。

「もはやこれまで…はっ!そうだ。
叔母上からいただいた剣と火打石があったな。
ええい一かばちか!」

ヤマトタケルノミコトが剣をふるうと
草が薙ぎ払われ、
さらに火うち石で向かい火を放って敵を
焼き殺しました。

ここから「天叢雲剣」あらため
「草薙の剣」となり、
その土地の名を「焼津」としました。

ヤマトタケルノミコトの死後、
剣は「熱田神宮」におさめられます。

38代天智天皇の時代、
668年新羅の僧道行によって盗み出されますが、道行を乗せた船は嵐にあって難破。

剣は日本に戻り、宮中であずかることと
なります。

しかし40代天武天皇が病にかかったとき、
これは剣の祟りだということでふたたび
熱田神宮に戻されました。


…これらは『古事記』『日本書紀』に
見える草薙の剣にまつわる物語ですが、
ほかの二つの宝物にもそれぞれ物語があります。。。




本足跡



























『玉祖神社…㊤』
http://ameblo.jp/1994199820022006/entry-12186989177.html






























































































キラキラ梅キラキラ







 


















3月20日。。桜









『春分の日』。。キラキラ