ダークガメお辞儀六芒星

















あ、俺。。。。

よく勘違いされるのだけど…。。。

『朝‼…めっちゃ強い‼』

『早起き‼…得意‼』って、



でも、、実は。。。。


朝・・・・・

めちゃめちゃ弱いです‼…。。。。ねこ×をいをい…











ホテルに帰った後。。雨が降りだし、


夜。。。強い雨となった…かさ汗2汗2シャボン玉

そして…次の日。。


早朝。。。きら




晴れた‼。。太陽きらきら

。。。wa-i*ラヴねこやん↑ハート








この『丹後編‼』…

これは‼…外せない‼
『奈具』。。↑きら



そのもうひとつの。。。

「奈具神社」。。キラキラ












「奈具神社」

























水も。。したたる…シャボン玉きらきらラヴねこやん









船木。。


「ふなき」のいわれ

比治山(峰山町五箇)の羽衣伝説によると、
羽衣を隠され天へ帰ることができなくなった
天女は、年寄り夫婦の子どもになり
十年余りも暮らしていたが、
ある日突然に「わが子ではない」と家を
追い出された。

泣く泣く船木に来て住みつくことになり、
婦(天女)が哭(な)いた所だから
「ふなき」と呼ぶようになった。

奈具神社の祭神は、この天女だといわれています。

























「奈具神社」























。。ラヴねこやんきら





「奈具神社」
(なぐじんじゃ) 





【延喜式神名帳】
奈具神社 丹後国 竹野郡鎮座 

【現社名】
奈具神社 

【住所】
京都府京丹後市弥栄町船木273 

北緯35度40分15秒、東経135度6分11秒 

【祭神】豊宇賀能売神 

【例祭】10月11日 例祭 

【社格】旧村社 


【由緒】
嘉吉3年(1443)大洪水で流亡溝谷神社の
相殿に合祀

享保4年(1719)9月造営

寛政5年(1793)3月造営

明治4年2月10日村社

明治6年元の船木村に遷宮

明治44年5月30日
神饌幣帛料供進神社指定

【鎮座地】
嘉吉3年(1443)
大洪水で流亡溝谷神社の相殿に合祀

明治6年元の船木村に遷宮



 
【祭祀】
江戸時代は「奈具大明神」と称していた

 
【祭祀】 
【社殿】本殿
       拝殿 

【境内社】
秋葉神社・若宮神社 

『丹後国風土記逸文』に記載されている
「奈具社」
八人の天女が比治山の上にある、
真奈井の池で身を清めていたという、
この地に住む和奈佐(わなさ)と言う
老夫婦が、丁度行き合わせ、そっと一人の
天女の羽衣を隠してしまった。
羽衣のある者は天に戻ってしまったが、
残された天女は、水に身を隠していた。
老夫婦は天女に向かい
「私たちには子供がない、どうか私達の
子供になって下さい」と頼んだ。

天女は
「私一人、下界に取り残されてしまいました、この上は、お言葉に従います」と
言い、それから10年ばかり一緒に暮らした。

この天女は、万病に効くという酒を造り、
そのことにより老夫婦は大そう金持ちになった。

 ある日、突然、天女に向かって
「お前は、わしらの子ではない、家を出て
行け」と言う、
天女は「自分から望んで、子供になったわけではない、頼まれて子になった、
なぜ、今になってその様なことを言うのか」と言ったが、許してくれない。

嘆き悲しみ、家を出てさ迷い歩き、
竹野郡舟木の里の奈具の村に来て
「やっと私の心は、なぐしく
(おだやかに)なりました。」と言い
とどまった。

この天女が「奈具神社」に祭られている

豊宇賀能売命であると言う





奈具神社

延喜式内奈具神社の祭神について

むかし、丹波の郡比治の真奈井に天下った
天女が、和奈佐の老夫婦に懇願され
比治の里にとどまり、万病に効くという
酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。

しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女
に、汝は我が子ではないと追い出してしまいました。

   天の原ふりさけみれば霞立ち


    家路まどいて行き方しらずも

と詠って、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。
そして、
「此処にして我が心なぐしく成りぬ」と
云ってこのむらを安住の地としました。

此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって
豊宇賀能売女として祀られました。
これが竹野の郡の奈具の社です。

以上が奈良時代に編纂されたとされる
『丹後の国風土記(逸文)』が伝える
奈具の社の縁起です。




社頭掲示板


本足跡






































































ほぉ~。。。ジジきら







































































ぁ。。。

なんだか、心地よい。。。ハートきらきら































奈具岡遺跡

弥栄町の奈具岡遺跡では、
水晶や緑色凝灰岩の玉作が短期間に盛んに
おこなわれ、大量の玉が生産された。
弥生時代中期(約2000年前)の大規模な
玉作り工房跡である。
この遺跡からは、水晶をはじめとする玉製品の生産工程の各段階を示す未製品や、
加工に使われた工具類などが多数出土した。
生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・
なつめ玉・管玉である。
ここでは、原石から製品までの一貫した
玉作りが行われており、国内有数の規模と
古さを誇る。
大規模な玉造工房が稼動していたのである。






本足跡