『鹿の王』。。

上橋菜穂子さん 答えなき世界に挑む

 


 

上橋菜穂子さんのファンタジー
『鹿の王』
(上・下巻、KADOKAWA)。


壮大な物語のテーマや創作の姿勢を
上橋さんに聞いた。
(聞き手は文化部 岸田将幸)


 「命を救うことはできないが、暮らしを
あたたかくすることはできるかもしれない」。
上橋菜穂子さんは『鹿の王』執筆にこめた思いをそんなふうに表現する。




 物語の舞台は、強大な帝国に征服された
「王国」。
国家の争いを背景に、人間関係が複雑に
絡み合い、さらに生態系の破壊がもたらす
疫病のまん延が登場人物の運命を翻弄する。

征服者への報復を試みる者がいれば、
その懐に入り込みしたたかに生きる者もいる。
だが「英雄や悪、テロリズムなどの分かりやすいレッテル張りはしない。
物事は多様な側面を抱えているから」と
話す。

 オーストラリアの先住民族、アボリジニ
を研究する文化人類学者でもある。
研究を通じて養った文明論は小説にも反映
している。
民族が共生する方法を探るため現地で長く
フィールドワークを行ったが、
「この世に特効薬というものがないことを知った」。
しかしそれは「絶望ではない」。
その持論を象徴するのが、物語に登場する
「幼子」だ。
言葉はたどたどしく、働くことも闘うこともしない。
ただ人を慕う気持ちを持つだけの
小さな存在だが
「それがある人やある状況を救うかもしれない」。
言い換えれば
「そんなわずかな人の間の影響関係が、
人類を滅亡させずにいる理由なのではないか」と考える。



 壮大な小説を貫くもうひとつの大きな
テーマは『病』だ。

本作を書く前、スランプに陥っていた。
執筆が進まず悩んでいたあるとき、
ウイルスや免疫に関する書籍を手に取る。
「自身の体細胞よりも多い細菌が体内で
生存のために闘って暮らしている。
体外での人の行為も同じではないか」と
思うようになった。



 「王国」を征服した側の人々は、犬などが媒介する疫病「黒狼熱」に苦しめられる。
人々の住み分けがなくなり、免疫を巡る
自然界のバランスが崩れてしまったためだ。
小説を何かの隠喩と捉えられることには
否定的だが、西アフリカで流行する
エボラ出血熱などを念頭に置くと、
いやが応でも物語の深みは増す。

 「長く生きられる命と、長くこの世に
いられぬ命。いったい何が違うのだろう」。

戦士団の頭である主人公は病で妻と息子を
亡くし、答えのない問いを抱え続ける。
「人間は百パーセント死ぬが心は納得しない。(体があって生きているが)人の命は
自分の体に左右され、時に裏切られる」。

作家としての関心が、国家や文化から
「生態系の中にある人間」、
そして体自体に移っているという。
「生物として見ることで、
あるがままの人の姿を捉えたい」

 自身の家族も大病を患い、最近は看病に
追われてきた。
受賞の知らせに「窓が開いたような気持ち」と一息。
「家族も喜んでくれている。どんな評価よりもうれしい」。

児童向けでもある内容だが、医療関係の
文献を読み込み、医者であるいとことの
綿密なチェック作業を経て完成させた。


 人は今生きてある世界に対し何ができるのかを、登場人物に託して問い続ける。
「それぞれが自分にできることをすればいいし、私にとっては書くことが自分にできること」。
これからは単純な「ハッピーエンドの物語
も書きたいな」と笑いつつも、
安易な解決法の提示はしないと決めている。




(うえはし・なほこ) 
1962年東京生まれ。
89年に『精霊の木』で作家デビュー。

長編が多く、06年から刊行が始まった
『獣の奏者』シリーズは国内の発行部数が
累計100万部を超えるヒットとなっている。
92年に『月の森に、カミよ眠れ』で
日本児童文学者協会新人賞。

04年には『狐笛のかなた』が
野間児童文芸賞に選ばれ、
昨年には児童文学のノーベル賞とも言われる国際アンデルセン賞・作家賞を受賞した。
『鹿の王』は日本医療小説大賞も受賞している。
















【上橋菜穂子『鹿の王』あらすじ】




アカファ王国の最西端、
トガ山地に生まれたヴァンは、
飛鹿 ( ピュイカ ) を神出鬼没に操る
独角 ( どっかく ) という名の一族の長だった。

左の枝角が欠けた兜を被っていたので
よく目立ち、その勇猛果敢ぶりもあって
「 欠け角 ( かけつの ) のヴァン 」 と呼ばれ恐れられていたが、
その一方、男が惹かれる男でもあった。


飛鹿とは、鹿という名がついてはいるものの、鹿とは随分違う生き物だ。

頑健で、恐ろしく敏捷でもあり、
その名の通り、跳躍力がすさまじく、
馬などの場合よりずっと乗り手の技術に
左右される動物だった。

アカファをゆっくりと呑み込んでいく
大帝国、東乎瑠 ( ツオル ) 帝国に逆らって
独角は戦いに敗れ、独角のなかでヴァンは
ただ一人生き残った。

そして、多種多様な民族から成る奴隷の
一人として、40歳近くなる身を岩塩鉱で
働かされていた。



苛酷な労働を強いられるそこは、
死体となって投げ捨てられるまで長くて
3ヶ月という地獄だった。

ヴァンが奴隷となって2ヶ月くらい経った
ある日、岩塩鉱を奇妙な生き物の群れが
襲ってくる。

黒い毛に覆われ、異様に光る目をし、
山犬のようでもあり、狼にも見えなくはない獰猛な獣の一団は、
鎖につながれて自由に動けないヴァンたち
奴隷だけではなく、奴隷を監督する者たち
にも襲いかかり、次々と噛みつき、
引き上げていった。


そしてその動物に噛まれた者は発疹が出、
ひどい痙攣を起こして次々と死んでいったが、なぜかヴァンは生き残った。

なぜ自分だけが死なないのか不思議に思うものの、物影にいた1歳半か2歳くらいに
見える女の子と共にヴァンは逃亡する。



後に分かるのだが、
ヴァンたちを襲った生き物は、
キンマの犬と云われ、体内に黒狼熱
( ミツツアル ) という恐ろしい病素を
持っている山犬たちだったのだ。



生き残ったヴァンは、それ以来自分の感覚
が微妙に変化していることに気づいていく。

嗅覚が異常に鋭くなっただけでなく、
再びキンマの犬に出会ったとき、
わが身が裏返ったようになり、全てが
光の束に先導されているように見えた上、
何かを噛みたいという衝動に駆られるのだった。

そして出会ったキンマの犬たちも、じっと
ヴァンを見つめるのだった。

岩塩鉱から連れてきた幼い女の子をユナと
名づけて育てていたが、その子も同じような感覚が生じているようである。



この物語のもう一人の主人公、ホッサル
は、奇妙な病の流行で滅びた
古オタワル王国の出だが、オタワル医術の
天才的な医術師だ。

26歳の今、千年の歴史を誇るオタワルの
深学院の助教を勤めており、
ツオル帝国の支配階層でその名を知らぬものはないという優秀な青年だった。


しかし、ツオル帝国に古くからいる祭医師
たちは、オタワルの医術を邪道と言って
快く思わない者もいた。

キンマの犬に襲われて噛まれる事件があちこちで発生し、アカファの民だけは死に至らないことが分かってくるにつれ、
それはアカファの呪いだ、などという噂が
広がっていく。

更に、アカファ王国をよみがえらせようという誰かの陰謀ではないか、という噂まで
出てくる始末だった。



そして事実、このキンマの犬を利用して、
自分たちを悲惨な境遇に落とした
ツオル帝国に復習しようとするものが現れる。


アカファ王も一時、そんなつかの間の夢を
持ったことがあったが、その計画のおろかさに気づいた時は既に遅かった。
王の意向とは別に暴走する者、ツオル帝国
の仕打ちに恨み骨髄の一族が現れたのだ。
裏返ったヴァンがキンマの犬たちを統率できるのではないかと思ったその者たちは、
ヴァンを利用しようと考え始める。



一方ホッサルは、
岩塩鉱でキンマの犬に噛まれても死ななかった男、ヴァンのことを聞き、
アカファ王国の力を借りてヴァンを追う
決心をする。

キンマの犬の病素持っているはずの
ヴァンの血から、現在、少し前まで実施されていた天然痘の予防接種のようなものだろうか、何か黒狼熱に有効な薬が出来ないかとホッサルは思ったのだ。


逃亡奴隷として追われ、利用しようとする
者に追われ、ホッサルに追われ、
その上戦士だった頃ヴァンを恨む者もあって、ヴァンは四重に追われる身であった。








ところで、この物語の題名『鹿の王』とは、鹿の群れが天敵に襲われて危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす
鹿のことをいうらしい。。。


ヴァンの一族はその鹿のことを尊敬の意味
をこめて「鹿の王」と呼んでいたのである。。。



ヴァンは、己の体内に危険な病素を宿していることを知り、
物語の最後に、キンマの犬たちを連れて
人が決してやってこない森の奥へ行ってしまう…。。


























登場人物】



ヴァン

物語の主人公。
〈独角〉の頭として 東乎瑠(ツオル)を
相手に戦ったが、敗れ、 アカファ岩塩鉱で
奴隷となっている。




ホッサル

物語のもうひとりの主人公。
天才的な医術師。




ユナ

岩塩鉱でヴァンが拾った 元気のいい幼子。





サエ

マルジの娘。跡追い狩人の中でも 素晴らしい腕を持つ女性。





マコウカン

ホッサルの従者。







与多瑠(ヨタル)

王幡侯の次男。
アカファ王の姪・スルミナを
妻にしている。





リムエッル

東乎瑠の皇妃を死病から救ったことのある
高名な医術師。






スオッル〈谺主(こだまぬし)〉。

ワタリガラスに魂を乗せて飛ぶ
〈ヨミダの森〉に住む老人。







オーファン

火馬の民(アフアル・オマ)





ケノイ
火馬の民(アフアル・オマ)

トマオキに住む青年。
怪我をして動けなかったところをヴァンに助けられる。






シカントマソルの助手。

ユカタ平原の〈火馬の民〉の出身。






那多瑠(ナタル)

東乎瑠帝国の皇帝。
皇妃の命を救った
リムエッルに信頼をよせている。







オゥマトマの父。

アカファ王東乎瑠に征服された
アカファの王。
東乎瑠に服従を誓っている。







王幡候(オウハン)

東乎瑠帝国アカファ領主。
ホッサルの治療で命を救われたことがある。






季耶(きや)

トマの母。
東乎瑠から移住させられてオキに来た。





スルミナ

アカファ王の姪(めい)で、
東乎瑠の有力者・与多瑠の妻。







迂多瑠(ウタル)

王幡侯の長男。傲慢で強引な男。







ミラルホッサルの助手。

トゥーリム〈アカファの生き字引〉
と呼ばれる
アカファ王の懐刀。








呂那(ろな)

王幡領の祭司医長。

トマソルホッサルの義兄。
オタワル深学院〈生類院〉の院長。






マルジ

跡追い狩人の頭。













半仔









飛鹿



イラスト/梶原にき


© KADOKAWA CORPORATION










『鹿の王』
http://www.youtube.com/watch?v=d7nsQhlwhg8&sns=em