『物部守屋墓』。。
大阪府八尾市「大聖勝軍寺」の近く。。
「物部守屋が祭られている。
その玉垣は全国の神社から寄進されている」。
“個人”や“団体”ではなく
“神社が寄進”‼。。。
その“玉垣”には‼…いろんな有名な神社の名が‼。。
物部守屋大連墳
物部守屋墓
「大阪府神社庁」。HP
『やお文化協会』の
「史跡など まちの風景 あれこれ」では、
以下のように紹介しています。
「物部守屋墳」 奈良街道、
すなわち国道25号線に面した八尾市内で
一番交通量の多い道路脇にある。
この地は物部守屋大連を葬ったところで、
『河内鑑名所記』や『河内名所図絵』
には、小さな塚上の丘の上に一本松のある
姿がえがかれている。
明治初期、堺県知事小河一敏が、
立派な墓碑を建立。
表に「物部守屋大連墳」と刻し、
周囲に玉垣を作った。
『物部守屋』
は~い。。
ちゃんと。。来ましたょ‼…
『※※モリヤ※※』
http://ssecret.ameba.jp/1994199820022006/amemberentry-12151249379.html
大阪府神社庁による『顕彰碑文』。
「物部守屋公顕彰碑
物部守屋公は建国の功臣饒速日命の裔にして代々宮廷を守護し武を司る家門に生れ給ひ往古の八尾を中心とする河内一帯の地は其の所領たりき。
我国に始めて仏教渡来するや国風たる神ながらの道統を護持せんと父公尾輿の固き志を継ぎ用明天皇二年何ぞ国神に背き他神を敬せんやと断じ蘇我馬子と激しく対立。
公は河内に帰り一族を挙り此の地に干戈を交えて幾度か勇戦奮闘せられしも時に利あらず同年七月七日遂に果敢くも陣歿せられぬ。
嗚呼然れとも公の純乎たる憂国の精神は
永く日本人の道を照さずてあるべき
春風秋雨幾星霜 当墓所は今日八尾市の史蹟
として最古の墳墓たるのみかは遠く郷土の
領主としてとして其の遺徳を仰ぎつつ
大正九年より吾等先輩祀職年毎に墓前を
修め来りて愈々懇なり。
今年一千三百八十年祭を迎ふるに際り茲に
年来の司祭を記念し碑を建て聊か黄泉の
英雄を慰め奉ると云爾。
昭和四十二年六月吉辰
大阪府神社庁中河内分会建之」
物部守屋。。。
守屋。。
那加世。。