天萬栲幡千幡比賣命
あめよろずたくはたちはたひめのみこと


別名

天万栲幡千千姫
(あめよろずたくはたちちひめ)

万幡豊秋津師比売命
(よろずはたとよあきつしひめのみこと)

万幡豊秋津姫命
(よろずはたとよあきつひめのみこと)

万幡姫
(よろずはたひめ)

千千姫命
(ちちひめのみこと)
……



『古事記』には万幡豊秋津師比売命とあり、高木神の娘で、
天忍穂耳命の妻となり、
天火明命、日子番能邇邇芸命を生む。


『日本書紀』本文には、
思兼神の妹・万幡豊秋津姫命。

一書第二に、
高皇産霊尊の娘・万幡姫。

一書第六に、
高皇産霊尊の娘・栲幡千千姫万幡姫命、
または高皇産霊尊の娘・火之戸幡姫の子、
千千姫命。

一書第七に、
高皇産霊尊の娘・天万栲幡千幡姫、
または高皇産霊尊の娘・万幡姫の子、
玉依姫命。

一書第八に、
高皇産霊尊の娘・天万杵幡千幡姫。


万幡とは多くの織物。
豊秋津とは上質の布とする説と稲が豊の実るとする説があり、織物の神。
実りの神。

同様の織物の神に、天棚機姫神という女神がおり、別名を天八千千比売命といい、
同神とする説もある。


伊勢神宮内宮の相殿神として祀られており、各地の伊勢神社、大神宮にも祀られている。








葦原中津国平定・天孫降臨の段に登場する。

『古事記』および『日本書紀』
本文・第二・第六・第七・第八の一書では高皇産霊神(高木神)の娘としている。

『日本書紀』第一の一書では思兼命の妹、
第六の一書では「また曰く」として
高皇産霊神の子の児火之戸幡姫の子
(すなわち高皇産霊神の孫)、
第七の一書では「一に云はく」として
高皇産霊神の子の児萬幡姫の子で玉依姫命というと記されている。
天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、
天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ。











【解説】

「栲」は楮の繊維または白膠木、
「ハタ」は「機(はた)」のことである。
「チヂ」は縮むの意とも、たくさんあるの意ともいい、前者であれば織地が縮んだ上質の織物のこととなり、
後者であれば機織がさかんな様子を表す。

いずれにしても機織や織物に関係のある名前ということになる。
織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつとされる。
瓊瓊杵尊や天忍穂耳命とともに祀られることが多い。





兄に、“オモヒカネ”キラキラ


夫は、アマテラスの…子。。きら




子供は、“ニギハヤヒ”“ニニギ”きらきら










【読み】タクハタチヂヒメノミコト
【性別】女
【父】タカミムスビ
【日本書紀】栲幡千千姫命
【古事記】萬幡豊秋津師比売命


【別名】
・天萬栲幡千々比賣命
(アメノヨロズ タクハタチヂヒメノミコト)

・天萬栲幡千幡比咩命
(アメノヨロヅタクハタチハタヒメノミコト)

・天萬栲幡千幡比賣命
(アメノヨロヅタクハタヒメノミコ)

・天万栲幡比売命
(アメヨロズタクハタヒメノミコト)

・栲幡千千姫神
(タクハタチヂヒメノカミ)

・栲幡千々姫尊
(タクハタチヂヒメノミコト)

・栲幡千千比賣尊
(タクハタチヂヒメノミコト)

・栲幡千々比賣命
(タクハタチヂヒメノミコト)

・栲機千千姫命
(タクハタチヂヒメノミコト)

・栲幡千千比賣命
(タクハタチヂヒメノミコト)

・拷幡千千姫命
(タクハタチヂヒメノミコト)

・栲幡千々姫命
(タクハタチヂヒメノミコト)

・萬幡豊秋津師比賣命
(ヨロズハタトヨアキヅシヒメノミコト)

・万幡豊秋津姫命
(ヨロズハタトヨアキツヒメ)

・萬幡千々姫命
(ヨロヅハタチヂヒメノミコト)

・万幡豊秋津師比売命
(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)

・萬幡豊秋津姫命
(ヨロヅハタトヨアキツヒメノミコト)




【ご神徳】
織物の神



【継続】
高御産巣日神(高木の神)(親)

思兼命(兄)

正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(夫)

天火明命(子)
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(子)


 
 
【解説】

名前の由来
万幡豊秋津師比売命は古事記に登場する女神で、日本書紀では栲幡千々姫命と呼ばれます。
二つの名前に共通する「幡(はた)」という字は織物や機織機のことを指します。
また、「栲」は白膠木(ぬるで:秋の紅葉が美しい低潅木)のことであり、
「万」や「千々」はたくさんのという意味を表しています。

さらに「千々」は『「縮」む』にも通じ、
縮んだ上質な織物の様子を指しているという解釈もあります。
つまりこの女神の名が表しているのは、たくさんの美しい織物、ということになります。

記紀神話では、
天照大御神が忌服屋(いみはたや:注1)
で女神に神御衣を織らせています。
機織りは女性の神聖な仕事であったのです。
万幡豊秋津師比売命の原像は機織りをする神聖な巫女であり、現在に至るまで織物業守護の神様としてお祀りされています。


織物は当時より神々への奉納品として重要視されていました。
学問の神様として有名な菅原道真が詠んだ歌に、次のような歌があります。

このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 
手向(たむけ)山 紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに

菅家(『小倉百人一首』二十四番/
『古今和歌集』羈旅・四二○)



この歌は宇田上皇(朱雀院)の宮滝宇田上皇(朱雀院)の宮滝御幸(八九八年十月といわれます)の時に詠まれたものです。
菅原道真は目の前に広がる美しい紅葉を見て感動し、その景色を錦(上質な織物)に見立て、神に奉納にしようと考えたのです。

現在でも、御神衣を織り献上する儀式が
伊勢神宮をはじめとする様々な神社で行われています。

(注1)神聖な機織小屋のこと
(注2)太御幣の「太」は美称






『天孫の母神』
万幡豊秋津師比売命は、神話において母神として登場します。

ここにその太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命答へて白したまはく、「僕は降らむ装束しつる間に、子生れ出でぬ。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、この子を降すべし」とまをしたまひき。この御子は、高木の神の女(むすめ)、万幡豊秋津師比売命に御合まして生みし子、天火明命、次に日子番能邇邇芸命二柱なり。ここを以ちて白したまひしまにまに、日子番能邇邇芸命に詔おほせて、「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国なりと言依さしたまふ。かれ、命のまにまに天降るべし」とのりたまひき。
(『古事記』から抜粋)



正勝吾勝勝速日天忍穂耳命とは天照大御神と須佐之男命が誓約をした際に生まれた男神のうちの一柱、つまり天照大御神の子であるため、万幡豊秋津師比売命が生んだのは天照大御神の孫ということになります。

彼らは天孫と呼ばれ、邇邇芸命は葦原中国を治めるために「筑紫の日向の高千穂の霊峰」に降臨しました。また、天火明命は尾張連の遠祖とされています
(『日本書紀』)。
『先代旧事本紀』では、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という名で登場し、邇邇芸命に先立ち降臨したと述べられています。





万幡豊秋津師比売命ご自身は
『古事記』、『日本書紀』ともに
高御産巣日神の娘として描かれています。

『日本書紀』の別伝では高御産巣日神の娘の子(つまり孫)とされていたり名前の表記に幅があるなど多少記述にずれがあるものの、高御産巣日神の血筋であることは間違いありません。

また、穀物の神である邇邇芸命を生んだことから豊穣の神としても信仰されています。
名前にある「豊秋津」からも、実り豊かな秋の様子が感じられます。



























『身の潔白を証明するために
自ら命を絶った斎王』

伝説の時代の斎王 
稚足姫皇女
(わかたらしひめのひめみこ)

 雄略天皇の皇女で、
別名栲幡皇女(たくはたのひめみこ)とも呼ばれています。
 あるとき、湯人(ゆえ)の
廬城部連武彦
(いおきべのむらじたけひこ)が皇女を
妊娠させたと讒言(ざんげん)する者がありました。
天皇からの使者に詰問された皇女は
「わたしは知らない」と答え、
その夜にわかに神鏡を持って失踪してしまいました。

 人々が皇女を探していると、五十鈴川のほとりで虹が蛇のように立ちのぼっていたので、不思議に思ってその辺りを探してみると、神鏡が埋められており、その近くで皇女は自らの命を絶っていました。

その遺体をあらためてみても、水のようなものと白い石が認められただけで、妊娠しているようすはなかったということです。

































日…子。。きら


彦♪。。きら





『ほうき星』
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