名古屋市の北区と西区に、
「七夕神社( 多奈波太神社 )」と
「星神社 」なる神社があります。

いずれも、七夕に関係の深い神社で、
織女(織女星)や彦星(牽牛星)をご祭神に祀っています。

全国的に見ても、かなり珍しいようですね。




もしかしたら…、
多奈波太神社と星神社の間にかかる川、
“庄内川”は、ある意味、天の川なのでしょうか。















【多奈波太神社】

多奈波太神社は七夕の恋の話がある神社です。


戦時中一度焼失していますが、1964年に復興再建されています。

七夕にまつわる神社には西区の星神社もあり、これらふたつの神社を結ぶ伝説があります。


小田井村の星神社の近くに、若い男が住んでいました。
その若者は田幡村の娘と七夕の夜に出会い、度々会うようになりました。

そして親しくなった二人は、翌年の七夕の日も会う約束をします。

しかし当日、村は大雨による洪水でとても行けるような状況ではありませんでした。
それでも娘は待っている、と若者は必死で濁流の庄内川を泳いで娘の待つ田幡村に向かいますが、若者は庄内川の濁流に飲み込まれてしまいます。


娘はそんな天気のこともあり来られなかったのだと思い、毎日この多奈波太神社で若者を待っていました。


しかし娘の耳に入ってきたのは、若い男の水死体が上がったという話でした。

その話を聞くと、娘は庄内川に身を投げてしまったそうです。


この話から、

牽牛星は小田井村の若者、

織女星は田幡村の娘だと思っていたそうです。











『多奈波太神社』鳥居新緑笹2
http://s.ameblo.jp/1994199820022006/entry-12057562016.html



『星神社』鳥居新緑ほし
http://s.ameblo.jp/1994199820022006/entry-12057740317.html



























































天香香背男
(あまのかがせを)

別名

天津甕星
(あまつみかほし)

加加勢男命/加加背男命
(かがせをのみこと)

可可瀬男命/可可背男命
(かがせをのみこと)

火火背男命
(かがせをのみこと)

香香世男神
(かがせをのかみ)

天香具背男命
(あめのかがせをのみこと)

北斗星神
(ほくとのほしのかみ)

三十三夜星神
(さんじゅうさんやほしのかみ)

星神(ほしのかみ)

……




天香香背男の香香は炫(かが)、
背は「さえ」で、光の明るく輝くさま。
明るく光る星の神。
あるいは彗星、流れ星の神格化か。
陰陽道では彗星や流れ星を凶の兆しとすることがあるという。


天津甕星は天香香背男の別名。

天に在る悪神で、折々怪光を表わして
高天原の諸神を惑わす。

経津主神が武甕槌命と天神の命を受けて
葦原中国平定の際諸々の従わない神々を誅し、最後に残ったのが星の神である
天香香背男だけとなった。

そこで建葉鎚命を遣わせて復させた。

最後まで逆らっていた神として、
建御名方命との関係を示唆する説がある。

天香香背男は星神を信奉する海洋民族のことかもしれない。
大海原にあっては星の運航の知識の有無が生死に直結することから信仰の対象となったと考えられる。








“天津甕星”
天津甕星(あまつみかぼし)は、
日本神話に登場する星の神である。

別名、天香香背男(あめのかがせお)、
星神香香背男(ほしのかがせお)、
香香背男(かがせお)。



【概要】

『古事記』には登場せず、『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する。

本文では、経津主神・武甕槌命は
不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく
平定し、草木や石までも平らげたが、
星の神の香香背男だけは服従しなかったので、倭文神(しとりがみ)
建葉槌命(たけはづち)を遣わし懐柔したとしている。

第二の一書では天津神となっており、
経津主神・武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。

平田篤胤は、
神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。

「カガ」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる。


星や月を神格化した神は世界各地に見られ
、特に星神は主祭神とされていることもある。

しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。

これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。


全国の星神社や星宮神社の多くは
天津甕星を祭神としている。

茨城県日立市の「大甕神社」は、
天津甕星を服従させた建葉槌命を祭神としている。

社伝では、甕星香々背男(天津甕星)は
常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配していたとしている。
「大甕神社」の神域を成している
“宿魂石”は、
甕星香々背男が化したものと伝えられている。

葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。













“凶星”。。


“明けの明星”。。



ほしキラキラキラキラキラキラキラキラ



































茨城県日立市の「大甕神社」