『義仲寺』








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 義仲寺について

「木曽義仲御墓所」として知られる義仲寺は、木彫りの聖観世音菩薩を本尊とする寺で、開山は室町末期といわれ
         朝日山義仲寺と号する。



義仲寺本堂を朝日堂と称し、本堂には義仲とその子義高の木像を厨子に納め、義仲や芭蕉など、31柱の位牌が安置されている。




義仲寺が建つあたりはその昔粟津ヶ原と呼ばれ、琵琶湖に面する景勝地であった。

寿永3年(1184年)、
義仲討伐を目指す源範頼・義経の軍勢におされ、宇治から北へ逃れる途中、義仲は31歳の命をこの地で果てている。




義仲の亡骸は当地に葬られたが、寺伝によれば義仲の側室巴御前が無名の尼僧となって墓所の辺に草庵を結び供養を続けたといわれ、
死後、草庵は「無名庵(むみょうあん)」と命名されたという。

その「無名庵」は、「木曽塚」、「木曽寺」、「義仲寺」とも称され、現在に至っている。

義仲寺の境内には次の3つの芭蕉句碑が建っている他、又玄(ゆうげん)の「木曽殿と背中合せの寒さかな」など、全19の句碑が俳諧碑林を織り成している。
  














朝日堂


 義仲寺本堂で、

   本尊は木彫聖観世音菩薩


義仲公、義高公父子の木像を厨子に納める。













     巴

かくのごとき をみなのありと かつてまた


  おもひしことは われになかりき






そして、これが
  “巴御前”の。。。ジジキラキラ









 巴塚





 『巴御前♪。。』
http://s.ameblo.jp/1994199820022006/entry-11815174013.html








そのとなりに。。キラキラ





義仲公墓



 義仲の寝覚めの山か月悲し



 木曽の情雪や生ぬく春の草





 “旭将軍”といわれた…
    木曽義仲。。!!


世にいう…“平家の都落ち”は、

       この男によるもの。。!!









木曽八幡社




 やっぱり八幡は、
    あるんだね。。。ジジ












 芭蕉翁墓



この『義仲寺』には…
 “松尾芭蕉”のお墓も。。

芭蕉が亡くなったのは、大坂。。
        なのだけれど……

   遺言に従っての…『義仲寺』






全国各地を回った…芭蕉。。。


 その芭蕉が、

  ここで…眠ることを選んだんだね。。














行春を あふミ人と おしみける
    (おうみ)













古池や 蛙飛びこむ 水の音




  これは、芭蕉の句で

    一番有名かな。。。笑












木曽殿と 背中合わせの 寒さかな












 巴地蔵堂




   石彫地蔵尊を祀る。。


巴御前を追福するもの。。