さて、前回記事の続きです。
 
前回の記事↓
の経緯で、マルニエルラポストレイが2人の育種家の手元に残りました。シャボテン社のH氏と、関東圏にお住まいのH氏2人です。
 
シャボテン社のH氏はコツコツとマルニエルラポストレイの繁殖に勤しんだそうですが、カキコからの繁殖。時間もかかり中々普及させるには難しい状態だったようです。

対して関東圏にお住まいだったH氏は、当時多肉協会に所属しており、時々会報の執筆も担当されていたそうです。



しばらくマルニエルラポストレイを育成し、その美しさに惚れ込んだH氏は、マルニエルラポストレイを会報の記事として執筆

これこそがマルニエルラポストレイを日本に多く広めることとなった、H氏の行動です。

その会報を読んだ多肉協会会員の方々に、マルニエルラポストレイの存在を知らしめたのです。

多くの方々がその記事をきっかけにマルニエルラポストレイに興味を持ったことは間違いないでしょう。
 
会報への執筆。これが大きな影響となり、多くの方がマルニエルラポストレイを認知・欲しがるようになります。
 
これを皮切りに、たくさんのマルニエルラポストレイがブラジルから輸入されるようになったそうです。




その後、一気に日本でマルニエルラポストレイが流通したそうです。
 
ん〜、H氏。素晴らしい業績ですね。
シャボテン社のH氏に助け助けられ、種の存続に努め、更には多肉協会を通してマルニエルラポストレイの素晴らしさを日本中に届け、普及のきっかけを使った。
尊敬に値します。素晴らしいことです。
 
さてさて、これがマルニエルラポストレイが日本中に広まった、H氏のもっとも大きなアクションだった訳です。

徐々にここからマルニエルラポストレイが日本中に増えていくこととなります。
 
しかし。
この話には更に続きがあります。
 
それはまた後日の記事で。

その後の記事はこちら↓