白い植物といえば?
皆さんは何を思い浮かべるでしょう。
普通の方であれば、鈴蘭や百合と答えるでしょうか?白いタンポポとかもありますよね。
しかし、私たちのように少しコアな植物を愛でる人間からは
「エケベリアのラウイ!」
「いやいや、世界一白い植物。
ダドレアのブリトリーでしょ!」
そんな風に答える方もいるでしょうね。
私ならやっぱり「ディッキアのマルニエルラポストレイ」
そう答えるでしょう。
白く太い葉に、鋸歯のつく独特の姿。
素晴らしい原種のディッキアです。
そんなマルニエルラポストレイですが、日本には生えていません(もし日本に生えているのを見つけた方は、私にもこっそり教えてくださいね)。原産地は南米。日本の反対側です。
いま日本でマルニエルラポストレイを手に入れようとすれば、簡単に手に入ります。ネットで調べればすぐにヒットしますし、入手は難しくありません。それほどまでに日本で多く流通しています。
しかし考えれば不思議なことです。南米原産の植物が日本でここまで多く繁殖されたこと。あまり無いことでしょう。なぜでしょう。
これには多くの方が「ディッキアのマルニエルラポストレイが欲しい!」そう思ったきっかけが関係しています。
本日の記事は、日本でマルニエルラポストレイが広まるにあたり、大きなきっかけを作った方H氏から、直接伺った貴重なお話を記事にしようと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
日本にマルニエルラポストレイがはじめて輸入されたのは50年以上前のことです。輸入したの神奈川県にあったシャボテン社を経営していたH氏(話を伺ったH氏とは別の方です)。
シャボテン社のH氏は、昔からブロメリアなどの当時かなりコアであった植物も輸入繁殖されており、噂を聞きつけた趣味家の方々が稀に訪れていたそうです。そんな趣味家の1人であった関東圏にお住まいのH氏は、シャボテン社を時々訪れ、ダシリリオンやディッキアのネイキッドレディーなどを買い求めていました。
当時からするとかなり異質な好みであり、シャボテン社のH氏は「変わった方だ」とH氏のことをよく覚えていてくれていたそうです。
しばらく経ってから、再びH氏がシャボテン社を訪れると、そこには輸入されたばかりの痩せた白い植物と出会うことになります。
それこそ「ディッキア マルニエルラポストレイ」だったのです。
当時マルニエルラポストレイを日本で見ることはほぼ不可能。H氏はディッキアにマルニエルラポストレイという白い原種があるということは把握していました(エキゾチカという分厚い植物図鑑で見たことがあったのみだったそうです)が、対面は初めての事。
その美しさに惹かれたH氏は、シャボテン社のH氏に「ひとつ譲ってもらえないだろうか?」とお願いしたそうです。その時輸入されたマルニエルラポストレイは合計3つ。シャボテン社のH氏はH氏のことを上記の理由で認知していたため「ぜひおひとつどうぞ」と快くH氏へ譲り渡してくれたそうです。
H氏はさっそく自宅へ持ち帰り、活着を成功させました。しかしシャボテン社のH氏は活着させることができず、枯死させてしまったそうです。それを知ったH氏は「ご厚意にこたえなければ」と活着・繁殖させたマルニエルラポストレイをシャボテン社のH氏へお返ししたそうです。
それによって極少量ですが、繁殖されたマルニエルラポストレイが日本へ広まることとなります。
ちなみにその際広まったマルニエルラポストレイは「平尾クローン」と日本では呼ばれており、日本に初めて入ってきたマルニエルラポストレイである可能性が非常に高いと言われるクローンです。
ワタシも所有しています。これがマルニエルラポストレイの平尾クローン(この個体の記事はこちら)です。
ザ・マルニエルラポストレイですね。
何を隠そうこの平尾クローンは、H氏より直接ゆずっていただいた貴重な株。
間違いない平尾クローンです。
ちなみにH氏のタグです。
平尾と記載されていました。本当にありがとうございます。
まずは序章として「マルニエルラポストレイが日本で少しだけ流通し、それらのマルニエルラポストレイは平尾クローンと呼ばれている」というところまでご説明しました。
しかしまだ日本にたったこれだけのマルニエルラポストレイ。普及するには及びません。
そう、この話にはまだまだ続きがあります。
次の記事は、マルニエルラポストレイを日本中のマニアが知るきっかけとなった、H氏のある行動と、それによってどうなったかを記事にします。
その後の記事はこちら↓