『いつも苦しい』と感じるわたしに
矛先を向け始めたからです。
私は、頭の私で、
わたしは、深い所の私です。
私が『わたし』を意識し始めたら
傷ついていた・傷を私が隠してきた
『わたし』がいたんです…!
多分世の中とか、本とか情報では
内側の自分のことを魂と言っていて
頭の私が思考(マインド)にあたり
魂=『わたし』なのです![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
私の場合は子供のときからずっと
『わたし』の傷を隠したままに
大人になっていて、
傷を自分で、見ることが恐怖になり
必死に隠してきたんです!
傷ついたわたしは、言葉でいうなら
喜怒哀楽をそのまま『感じる』
ありのままの内側のわたし。
ありのままでいるときに、
否定されたり、貶されたりが重なり
ありのままでいることが、
ただ恐怖でしかなくなっていました![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
その"否定された" "貶される"のも、
そう捉えたのは私がわたしをそう
感じているから、扱っているから
もれなく『そういう言葉』が
たくさん聞こえてきます。
そう直接言われることもあれば、
直接ではないの、そんな風に聞こえる
出来事を自分で、創るんです!
『自分の世界は自分で創ってる』
というのは、こういうことだ![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
と、そこで全て腑に落ちました…!
・
・
そのありのままに喜怒哀楽を感じる
表現することが、無意識のままに
恐怖になってしまっていて、
とにかく色んなことを『頑張る』
でないと、そこにいられない私
ありのままが怖いからちゃんと
人を好きだと認められない私が
実は、内側にいることに気づいて。
私は子供のときから、内側にいる
ありのままの私(女性である私)が
ずっとずっと傷ついていた。
傷ついたことを認めることが
怖くて、怖くて堪らなかった!
それに気づいたら、溜まっていた
悲しい、寂しいの感情が溢れだして
『わたし』に出会えたんですね![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
内側の『わたし』に出会うには、
無意識に自身で溜めてしまった、
悲しさや寂しさ、怒り、喜び
色んな『感情・気持ち』があることを
認めてあげなきゃいけない、
そこにあることを自覚しなきゃ
いつまでも、いつまでも『わたし』が
気づかせてくれるんです!
『わたし』に出会うことを覚醒と
呼ばれていることもあるけれど、
私は、社会という大きなセカイに
出る前に覚醒が起こりました!
不思議なことではなく、ただ
内側に『わたし』がいるということに
気づくことができたんです♩
だから次は、社会にいても会社でも
どこにいても、誰といても
私が『わたし』を守り抜くことと、
弱さにも強さにも寄り添ってあげる事
したいように、させてあげること
自身の女性性を大切にしながら
たくさん表現することが、目的です♡
『苦しい』までくると、
内側の自身に出会うのは最終段階で
ほんとはもっと日常生活や日々の中で
たくさんサインをくれてるんですよね!
『たのしいー♡』とか『悲しい』とか
『本当はこうなのにな…』とか、
それ全部サインになるわけです![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
私に出会うって、嬉しいことだけど
同時に辛さや、違った恐怖もあります
それはまた次に書きます…!
さて。今日は何をしよーかな?♡