幸福な家庭はすべて

互いに似通っているが、


不幸な家庭は

どこもその趣が異なっている。









私はたぶん、

一人で子どもを育てたかったのだと思う。



誰にも邪魔されたくない

                       3人の家族関係




おにぃちゃんとりくとの生活は、

彼との2年間が色褪せるほどに

幸せだったのだ。





私が彼らを育てることは、

社会的な責任や義務を伴うことなのかもしれない。



だけど  私が彼らを育てる

       その日常の家庭生活には

        

     責任も義務も皆無


            

私の真ん中には 彼らがいる

      ものすごくナチュラルに



責任も義務も

             理性も努力も


    まして犠牲心なんてない










最近、とある質問&回答系SNSで

幸福はバリエーションがないのに不幸にはバリエーションがあるのはなぜ?」という趣旨の質問があった


質問者がなぜこの質問をしたのか、その意図がいまいち分からなかった。


というのも、

このような質問が思い浮かぶ時点で、 その質問者はすでに答えを知っている可能性が高いからだ。



もしかして回答者たちの哲学的素養を試してるのかな? と思いつつも、僕は


幸福は全体性に属し、不幸は部分的だからです」という趣旨の回答を書き込んだ。


分かる人にはこれだけで意味が分かるはずだが、一応念のため、なぜそうなるのかの説明も「健康」と「病気」を例にとって付け加えておいた。



すなわち「健康」とは心身のバランスや、全身の調和が取れている状態を指し、


一方の「病気」とは、その心身に部分的な不具合が起こっている状態のことなので、


例えば、


お腹の具合が悪い人、足の状態が悪い人、胃がんを患っている人など、どの部位のどのような不具合があるかで、いくつもの病気があり得るうんぬん、というような説明を書き添えておいた。



これは要するに「健康」と「病気」がそうであるように「幸福」と「不幸」も、それぞれ全体的な調和とその部分的な欠如を表しているという意味である。

さて、


この手のSNSには、ある質問に対して、その質問に関連する似たような別の質問も自動的に表示されるという機能がある。



その質問に回答したあと、ふと、

その関連する質問欄をみていると


トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭は全て互いに似通っているが、不幸な家庭はどこもその趣が異なっている」と書いています。なぜ幸福な家庭は似通い、不幸な家庭は異なるのでしょうか?」という質問が目に付いた。



あっ、もしかしてこれが最初の質問のひな型だったのかな? と気が付いて、


その質問と回答欄を開いてみた。


それによると、この幸福な家庭と不幸なそれとのバリエーションの違いについては、英語圏では「アンナ・カレーニナの法則」と呼ばれているという説明があった。


アンナ・カレーニナの法則とは?

「アンナ・カレーニナの法則」なんて初耳である。

念のためWikipediaでその意味を調べてみると「多数の要素によってその成功、失敗が左右されるような事象について、失敗の原因がたくさんありうることを指す法則である」とのこと。



似ているところはあるものの、残念ながら僕の説明とはちょっと違うものだった。



しかし

トルストイ自身はなぜそうなるか、

作中できちんと説明しなかったんだろうか? 


していたら

こんな珍妙な法則が

答えになっていないはずである。



幸福な家庭は、

多くの要素を満たしたから

幸福になったわけではない。


そもそも

多くの要素を満たしたら

必然的に幸福になるという保証も

どこにもない。




例えば、多少貧しくても家族が結束してお互いに協力しあって幸福になっている場合だってあるだろう。


逆に社会的地位や経済的な満足が十分でも、内心、家族同士がお互いを信頼してなくて幸福とは程遠い状態だってあり得るはずだ。




実は僕は小説の類はほとんど読まない。

いわゆる文豪と呼ばれるような人たちの作品でさえ、ほとんど全くと言っていいほど読んだことがない。


だからトルストイのことは、作品はもちろん、彼がどんな人物で、どんな思想や哲学を持っていたのかも知らなかった。



興味が出てきてトルストイの人生について調べてみたら、


彼は単なる作家ではなく、

特に晩年は宗教的・哲学的探求に心血を捧げ、神秘主義にも足を踏み入れたような人であったと分かった。



やっぱりなぁ、という感じだ。


「善とは何か?」 「愛とは何か?」

 あるいは

「人はどのように生きるべきか?」とか、


まあ、この手の問題と真剣に向き合い、

ごまかすことなくとことん問い続けるなら、


人はみな必然的に同じ答えに行きつくものなのだ。



もしもトルストイ本人がこの質問に答えていたとしたら、きっと僕と同じような説明をしただろう、と勝手に思っておくことにした。








 

家族が機能不全を起こした場合、

その原因を探ることほど

非生産的なことはないと私は思っているが、


あえて探ってみたとして


それは、私達元夫婦の課題に遡るはずで、

長男には、なんの原因も責任もないに違いない。


ただ、一番負荷を被ったのは間違いなく長男である。





なぜ?


その言葉を幼児が口にするときには、

真摯に向き合うことが大切だけれど、


問題に向き合うというのは、必ずしも

その答えを探し出すということではない。


個々の人間の体にも、その人生にも

原因がわからない不具合は ときどき生じるが

原因がわからないまま過ぎ去ることは結構ある。



長男からの「おとうさんがほしい」

りくからの「あかちゃんがほしい」



彼らの真のニーズを、

私が再婚することによって叶えられるとは

考えられなかった。



惜しみなく提供される、祖父や近所の人たち、

私の同級生や同僚の


優しさのなかにある父性に委ねているほうが

よほど安定した日々を過ごせるように感じていた。


それでも、私は自然な出会いの中で

男性と交際したことがある。



結婚を前提としない。


そういうはじまりではあったが、

1年近くたつと



結婚の話をしはじめ


「おにいちゃんとりくくんなら、大丈夫」とか、「父親とはいつまで会わせるの?」とか、「父親のことは、向こうとの約束事もあるだろうから、しかたないとしても、うちの親との関係もあるから、そろそろ向こうの親に会うのはやめてもらって。」と話し出した。


「結婚はしないよ。」


と言ったら


「まこちゃんが、少し考え方を変えるように努力してくれないと、先にすすめないよね。」


と言っていた。




そうこうするうちに、現在に至り

誰とも再婚していない。



考え方というものなのか。

感覚的なものなのか。


私にとって、親子関係とは

人間関係の中で

最も影響を与え合いやすいものでありながら


子どもは親を選べないし

親も子どもを選べない。


選べないのが大前提の関係性なのである。


だから、

「おにいちゃんとりくくんなら、大丈夫」

となんらかの査定の上に選ばれて


「そろそろ、会うのはやめてもらって。」

と血縁者とのつながりまで操作される。



そこからはじまる新たな関係をどう築いたら良いのか

わからなかった。





自分の子どもって、

自分が育てないと育たないから、そういう理由で自分が育てているわけじゃないんだ。


誰が育てたって育つ。



ただ、実子はどうしても自分が育てたくなるもんなんだと思うよ。人間って。


実子は元妻とは関係なく実子で、

元妻との関係がどうであっても、絶対的に俺にとっては大事な存在なんだ。


彼女ちゃんの子どもを育てるっていうのは

なんかピンとこないのは確かだよ。


だけど嫌だとか迷いとかそんなのは全くないんだ。

彼女と結婚するってことは、

必然的にそうなるってことだから。


彼女ちゃんとの将来のために

彼女の娘との関係性をこれから作るんだ。



俺の子として育ててもいいかなって思った第一の理由は、彼女ちゃんの子だからってこと。


第二の理由は、賢くてかわいい子だってこと。


無条件の愛情ではないよ。


そりゃそうだろ。

バカな子とかうるさい子だったら、誰だって嫌だろうよ。





再婚をすすめる人が多い中で、

私の両親は、ごく淡々としていた。



私が結婚する前には

「結婚は絶対にしなければならないというものではないが、家族を持つということは結構楽しいことも多い」と言い


「女性は未婚のまま子どもを持つことが可能である。望むのならば、そうするのもかまわない。


経済的には親をあてにしないほうがいいけれど、育児は手伝えると思う。」




そう言っていた両親だから

すでに子どもを産んだ私が再婚をする意義を感じてはいなかったのだろうと思う。


わりと具体的な紹介話があったときに

父親が言った。


「子育てのための経済基盤っていってもなぁ〜。

相手の年収がいくらかなんて関係ないからなぁ。」


「教育費って、いくらかけられるのか。


というよりも


いくらかける気があるのか、だから。」


なにげない風ではあったが


「いまの私は誰への気兼ねもなく、彼らに時間とお金と愛情をかけながら育てていくことができる。」


ストンと腑に落ちた、父親の一言だった。












今日は、私から父の思い出とでもいいますか、二つお話させていただきたいと思っております。


一つは私から見た父はどのような人であったのか、というお話と、


もう一つは

父が残している言葉の意味について。


これは私の解釈となるのですが、

これについてお話させていただきたいと思います。




先ず私自身の話ですけども、私にとって長尾真という人物は当然よき父でありました。


それだけではなくて


私自身が大学の一回生の頃は

先生として父の講座を取らせていただいておりました。


また四回生の卒業する頃、

卒業にあたっては


総長として

私に卒業証書を授与してくれるというような、少し複雑な関係でもありました。




そんな私から見て

長尾真という人物なんですけど、


本人自身は

情報学者であると言い続けております。


学者ですね。ですが

私から見た長尾真という人物に関しては、


学者というだけではなくて

学問者という言葉を勝手に作って私は使っているんですけれども、


そういう位置付けだと私は捉えています。

意味としては


学問をする者という意味ではなくて、




学ぶとは何なのか、

学ぶとはどういうことかと

問い続ける者


という意味での

学問者というような言葉が


私の中では


父を表すうえで、

比較的しっくりくる言葉として

考えております。




そういったことについていろいろ丁寧に考えて、一つずつ積み上げるように考える父ですので、


亡くなるには大変まだ早かったというふうに思うのですけれども、


自分が亡くなった後の事に関しても、きっちりと考えていて、家族のほうに書き残してくれていました。


その中でひとつ残してくれている言葉としてお墓の霊標の方にも刻まれているのですが、




「生死なき本分に帰る」

という言葉があります。



こちらに関しては、


元々はどうやら仏教のブッダの教えのひとつのようです。


ここで長尾先生は神道の人だったじゃないかと思っていただける方も多いと思うのですけども、




父にとってはおそらく

長く信仰されている宗教については





その本質として


重なる部分が非常に多いということで、
本質的に正しいのであって、

自分が価値があると思えば、
それが仏教であろうと神道であろうと、
自分の霊標にふさわしい言葉として残す


と考えていたのではないか

思っています。




そういうところが、


何ものにもとらわれず

本質を考え続けるという父の姿に非常に一致していると、私には思われます。



ではその

「生死なき本分に帰る」という言葉ですけど、


本分という意味は、

辞書的には


本来果たすべき責務・義務


ですが、

おそらくここでは


本来あるべき姿、本来あるべき形におさまる、


そういう意味で言っているのであろうと私は推測しております。



また、生死なきという部分ですが、


生きるも死ぬも無いのか、

何も無いのか、無なのかと

思われるかもしれませんけれども、


おそらくそうではなく、

生きているとか死ぬということに関しては


物理的には非常に特殊な状態、


生きていることは奇跡的な状態ということだというふうに捉えて、


残念ながら父は亡くなってしまいましたが、


その亡くなった後については、生きる死ぬということ、特殊な状態を超えて


普遍的な状態に落ち着くということ。


その普遍的な状態とはどういうことかというと、


おそらく父が考えてきたことであるとか、

父の業績であるとか、

やってきた仕事、


そういうのが社会に広がる、

社会に反映され、また


皆様の例えば思考パターンであるとか判断基準であるとか、


そういうところに影響を与え

広く行渡っていくと。


父が生前は、長尾真という人物にそれが集約・結晶されていたのですけれども、


亡くなった後に関しては


それが世の中と皆様のなかに、私たちの中に広く行き渡って普遍的なものとして定着していく。


そういったことを考えたのではないかと考えております。



これはもちろん私個人の意見というか考えですので、


父本人が実際にどう考えていたのかというところについては私もわからないところもあります。


ですが、私の中での父親長尾真という人物であれば、


そういうことも考えていたのではないかと。


また、これに関しては

皆様が日々の生活、もしくは私が例えばもっともっと歳を取って経験を積み、


その時点でまた思い返してみると違う風に捉えられるかもしれません。


ですが、今現時点で私の中では

先ほどお伝えしたような解釈という感じで父が考えたのではないかというふうに思っております。



この先、父が亡くなり一年が経ちまして、私たち家族も、ここにお集まりいただいている皆様も


それぞれ前を向いて歩いていらっしゃると思いますけれども、


その中で父の考えたこと、父の業績、父の思考パターン、そういったものが広く行き渡り、


本来、生死なき本分という形で定着していくことが実現されれば、


家族としては非常に喜ばしいことと考えております。



今日は私から父の思い出、私から見た父はどういう父だったのかという話と、


その父が残した「生死なき本分に帰る」とはどういう意味だったのかということを


私なりに解釈してお話させていただきました。


これをもちまして私からのご挨拶とさせていただきます。



 本日はどうもありがとうございました。