僕は、〇〇っていう

ほにゃらんにある国立大学を

出ているんですけどね。



大学時代の話をするときに

聞かれてもいないのに

出身大学名を名乗り


かつ「国立ですよ」と忘れずに

毎回追言するのは、たぶん

口癖のようなものなのだろう

と聞き流していたが


念の為申し添えれば

横浜国立大学ではないし

国立音楽大学でもない。




「今まで好き勝手に独り暮らしをしてきて、他人との同居は考えられないですよね」


「自立した女性と

結婚したい」



「財産財産って、その娘たちも言いますけど。そんな、財産あるような男性じゃないですよぉ〜。親の幸せを考えるってことができないんですかね?自分たちのことばかりで」




「自分の思う方に 

相手をのせていく前の

アイスブレイクが雑談です。」



「契約書にサインするように

誘導するのが仕事ですから」



褒められて

育つタイプなので



 

「いい意見だね」


「正しいよ」「すごいね」

そう言われることを嬉しく感じ



相手の期待と違う答えは

「できるだけ、

言わないように

気をつける」

のが社会性




『日本社会は恥の文化』


「正しくない言動をしたときに

『恥ずかしいよ』って言ってやめさせるじゃないですか。」



 

生を受けて90年

妻として 母として 社長として 

その存在史を前にして 



「ぼくだってねぇ 

 〇〇さんみたいな 

いい人がいれば

 そりゃあ 結婚しますよ。」 



この発信に 

込められているものは

何だったのか。 









この件について、
意見を求めたわけではないが

一刀両断

「全く意味がわからんな亅

と石丸氏はいった。




が、しかし


XYを

「とりあえず一旦まこさんに預ける」


そう言った

我が上司は。。。。




『僕だって、

〇〇さんみたいないい人がいれば

そりゃあ結婚しますよ』


車椅子の女性の顔を、覗き込むように言ったXYの嫌らしさを


女性上司を相手に

リアルに再現した私の顔を


見つめ返し


『それ、ほんとうに そのまま

ご本人の前でやったの?』



と、拳を震わせるほどの怒りを

示しながらも



一瞬で 気を取り直して


『あのXYから

そこまで聞き出せたのは

奇跡だ』


「支離滅裂ではあるが、一応
話がつながっている。」と


私を褒めた。


10年前から上司は

私達に言い聞かせてきた。


喧嘩上等

言えないよりは言ってこい

気づかぬよりは気づいてこい


ただし



えることでも

あえて言わない

ときもある



バカにバカとは

決して言うな




そして、最後に私に聞いた。


『国立大学』ってのは、結局

なんなの?





私は答えた。



『そこは

聞けませんでした。


わたしの母性が邪魔をして。。。




よく言われるわけですよ。

「喋ってないで、うごけ!」ってね。


ことば数多くなると、言い訳に聞こえてきてしまうわけです。


これは、人それぞれですが、

コミュニケーションも勝ち・負けではないことを覚えておきましょう。

 


つまり、議論は

協力と学びの場であるべきです。


お互いの意見を尊重し、共に考えることで、より良い結果に到達することができます。

 

 

勝つことではなく、理解し合うこと


議論において重要なのは、勝つことではなく、相手を理解することです。

相手の意見を聞き、その背後にある考えや感情を理解することで、より深い洞察を得ることができます。