「言葉は、ね。

良くなかったとは思いますよ。

あの場で『説教』と言ったことについては、ですよ」と


珍しく慎重に語ったのだろうが、


その時の私には、平たく言えば

嫌味に聞こえてしまっていたので


上司からの進言

 

『とりあえず、一旦預ける』

『関係性を築こうとはしないでください』


を思い起こし



少なくても今これ以上

話をすることに

とりたてて意義はないだろうと考えた。







反省させるな──。

「そんなバカな」と思うだろう。 



しかし、

表面的にはうまくいったように見えても、心の奥底にある感情が満たされない限り、心から安らげる感覚というのは得られない。

 

「反省」を求められると、彼らは「世間向けの偽善」ばかりを身に付けてしまう。



プライドの高い子ほど自分が弱いと感じている部分を言えない。

だからこそ言ってくれたときは、そのままを受け止める。


 

正論は、間違っていないからこそ子どもは何も言えなくなる。
それが心を閉ざしてしまう原因になる。


反省は形だけが多いという事実があり 


問題行動はチャンスという見方ができる。


問題行動には、必ず

理由があるからである。



親のせいで歪んだ価値観を形成してしまったとしても、親を責めるのも違う。


なぜなら親も、そう言った価値観を植え付けられて育っているからである。


大切なのは

そこに気づくことで

それが初めの一歩になる。






本当に反省に導くのならば、


まずは

「被害者の心情を考えさせない」

「加害者の視点で考えさせる」

「反省は求めない」方が、


実は、ずっと効果的なのである。




誤りを正すのではなくて、寄り添い、共に考え、立ち直ることを援助していくこと。


つまり、この順番が大切なのである。

 

愛情不足で育った子供は、歪んだ価値観を形成しその歪んだ価値観を疑うことなく、信じて、自分を守るために罪を犯すこともある。



親が言いそうなことを

想像して言ってもらい


その後に

出た答えに対しての 


質問力によって

自己開示の度合いが変わってくるので


ここでは
質問者のスキルが問われる。



感情の抑圧は 

犯罪につながる可能性がある。


問題行動こそが、自分の心と向き合うチャンス。


心の中の問題に気づけるチャンスがあったときには、反省させるのではなく、耳を傾けることが重要。




自分の内面と向き合う機会を奪ってはいけない。



子供に対して、周りの人に迷惑だから、と言って叱るのは考えた方が良い。


なんでもかんでも当てはまるわけではないが、


やめてほしい行動の奥には、子どもの寂しさやストレスが隠れているかもしれない。


「自分から相手へ」

その順番が大切


自分を丸ごと受け止めてもらえたという実感があって初めて相手へと意識がむかう。



否定的感情がダメなものだと言う認識を外してあげて、とにかく不満やお願いなどを含めて自己開示してもらえることが大切。


本人さえも気づいていない「何か」に気づかせる声かけや質問がとにかく大切。


寄り添う人は、たくさんの

適した質問を用意しておく。


...Google Books.








最初から、とくに

落とし所のあった話でもないので


「まぁ、説教というのは、べつに悪い言葉だとは思いませんけどね。亅


「まぁ、あの場で言うべきではなかった、ということなんですかね?」



とながして

書類をめくりはじめたら




「結局、〇〇さんは自宅には帰れないということですか?」と


言うので、私はまたもXYが


〇〇さんのことを考える気がある、ということなのだろうと勘違いしてしまい



「どう思いましたか?」

ときいたら


「どっちなんですか?」

「帰れるという話だったんですか?」

「帰れないという話だったんですか?」と


またすこしずつ語気荒く

迫ってくるので


「『どっちなんですか』って

私に聞いてるんですか?」


「あの場に一緒にいましたよね?」


と言ったら


「べつに、僕は

教えを請けるのが嫌だという

わけではないですよ。


こういう件に関しては

まこさんのほうが、経験も知識もあるじゃないですか!」


とまた、下線を

強調した上で


「帰すんですか?帰さないんですか?」

「どっちなんですか?」


と言うので



「それは、

私が決めることではないんですよ」


「そういうことを、

ジャッジするために行ったんじゃないんです。」


と言ったら


「もちろん、僕だってそのつもりでしたけど。まだ、手術もしていないし今後どんな経過を辿るのかわからないようなタイミングで、わざわざ会いに行って


そのことに、なんの意味があるのかなって。


結局聞けたのは〇〇さんの昔話と、息子さんの雑談だけじゃないですか!亅


と言った。


お喋りに付き合う義理はないので

黙っていたら


「いや、あ、それは

僕が悪いんですけどね。

これからの話にもっていけなかった僕が、悪いんですけどね」


と言った。


おまえが悪いのはそこじゃねぇよ、と

静かに心で毒づきはしたが


この件に

その毒はとくに

なんの影響もないので


「息子さんは、冗談ばかりを言っていたのではないですよ。


どうして階段の話をしたのかは、わかりましたか?」と


彼がわからないだろうことを承知で

聞いてみたら



「決めつける必要はないと思うんですよね、まだ。帰れないってことを。」


というので


「私もそう思いますよ。」

と言いながら、その拠となるところを言い示したが、それなりに長くなるので割愛する。



拠の浅深はどうあれ


「私もそう思いますよ。」


いちいち赤の他人に答えを求めるな、

と疎ましがられたあとに


結局、俺は肯定された。


とでも

勘違いしたのか。


性染色体XY age35は


この件に関しては

経験と知識があると

自ら勝手に認めたらしい私に


こう言った。


「僕は、褒められて育つタイプなので」


突然のように現れた

生き教材を前にして


自制のきかない私は

飛びつくように思わず聞いた。


「なぜ、そう思うの?」

「いつから、

そう思うようになったの?」


何歳まで、それ言うの!?