「母さん、昨日
7キロってスゴイ距離みたいに言ったけど」 


 「べつに、ふつうじゃん」 


 その口調は、いつもどおりに淡々としてはいたが

うまく拍子抜け感を織り交ぜながら、多少のいらだちをエッセンスとして効かせた絶妙な塩梅であった。



長く水泳を続けていたりくは、小学校低学年のプール授業のときから「小さくてかわいいバタフライ」と、先生方に喜ばれていたが


その他のスポーツは

至ってふつうであり


通常の体育授業で困る様子はなかったけれど、


華々しい記録を残すようなことも

とくになかった。



中学2年生の跳び箱骨折事件のとき

私はある疑いをもった。


「跳び箱で骨折って。。。

この子、鈍いんじゃない??」


骨折した子どもの親に

「それは鈍いね」とタイムリーにいう人はいないだろうし


聞かれた側も困るだろうと

当時は検証しなかったけれども




それから7年ほどが経過して



骨折現場に立ち会っていた

元同級生男子が、突如偶然に

私の前に現れて事件を回顧したとき


私の職場のアラサー男性が言った。



「まこさんの息子さん、鈍いっすよ。」


「僕は運動神経がいいので、そういう怪我をしたことはありません。」


「クラスで一番背が低かった僕は、ロイター板跳び箱も最初に経験しました」


「背の順だったんですよ。僕たちのときは」


「たしかに、めちゃくちゃ跳びますが、跳びながら姿勢を整えてちゃんとマットの上に着地できましたよ」


「着地に失敗するということは

空中で姿勢をコントロールできていないということです。鈍いんですよ。」


高くというより前へ

その姿勢はいかに




高い、高くない。

鈍い、鈍くない。


というより

とにかく

とりあえず前へ





スポーツ万能とはいえないりくが

日々7キロを走るようになって1年


勝ち進むことが増えてきた。 


ひとつずつ、丁寧に打ち返しながら

社会人インストラクターの指導のもとで腕を磨いたらしいスマッシュを確実にきめる。


りくらしい淡々とした戦い方を鑑賞していたら


長男が、デート途中に元部の彼女を連れて

試合会場を訪れたことがあった。


弟のプレイを

惜しげなく見せびらかせながら


「やっぱさぁ、りくって頭がいいんだよなぁ」と紹介した。



中学生男子

シングルトーナメント戦



勝った選手は、次回戦のラインズマンを4名、自分のチームから選出する仕組みになっていた。


1〜2 回戦は

多くの人が経験するから

「お互い様」であるし


チームを挙げての応援を受けるような

「決勝」や「準決勝」まで勝ち進む見込みの選手であれば


なんの苦労もなく

ラインズマンを選出することができる。


しかし、あの日のりくの勝利は

何回戦目だっただろうか。



控え席に戻ってきて

試合を終えてくつろぐチームメイトに声をかけた。


「次の試合のラインズマン、できる?」


これを、勝者が敗者に言う。

そういう仕組みなのである。


ちょうど4人で談笑しているところに駆け寄るあたりが、りくの頭の良さか鈍さか。



「だいじょうぶだよ」

「やるよ」

「できるよ」

3人が口々に答えるなかで


1人だけ、顔をあげることもないまま 

一瞬たりともりくの目を見返すこともなく、首を横にふったチームメイトがいた。


ん?



りくが、こういう顔をして

いなくなった。