中学生の頃、ロイター板で踏み切り過ぎて、跳び箱の遥か上を超えたというりく。








友人の語りの真偽を検証したところ

本人曰く


「高くと言うよりは、

前へ」


やはり、気分だけは









アンパンマンだったようだ。




なんのために生まれて

何をして生きるのか。



幼い頃に両親は離婚し

物心ついたときには


父親はいなかった。


兄に連れられて

年に何度か会う男性が


僕の父だと人は言うから

たぶん、そうなのだろうと思う。


母が言うには

ぼくは生後3ヶ月のとき

発達遅延傾向にあることを指摘された。


首がすわらないことから

気づかれたその傾向は


座ること、歩くこと、話すこと


そういうものに

少しずつの影響を与えていた。




将来に影響しない?

キャッチアップできる子が多い?


だから、なんなの?

そんなこと、誰がいったの? 



子どもの将来なんて、誰にもわからないよ。


だから

今できることをやる

のが子育てなんだよ



そんなことに

発達が早いとか遅いとか

関係ないんだよ。



小児科医、保健師、保育士

母親である私の周りに実際にいた
支援者はそういう人たちである。



↑これは、ものすごくジェスチャーが上手だったりくくんのエピソードである。




発音の誤りに関係なく,話の内容をしっかり聞いて話を広げ会話を楽しむように関わりながら、おしゃべり好きな子に育てます。


「言い直しをさせないでください」

これが、発語器官をしっかり使うことで正しい発語につなげつつ、キャッチアップするまでの余計なストレスを避けて、二次障害(いらいらしがち、劣等感、人と話したくない、慣れない人と関わりたくない)を生じさせないために推奨される基本的なかかわりなのです。

私は、療育センターに通って良かったと思っています。

なぜなら、


嫌がらない程度なら、

言い直しは必要なんだよ。」


そう言って譲らない保育者や教育者がいるからです。


一般の母親による通常の育児で

難なくキャッチアップができる程度の

ごく軽度の発達遅延であっても


たとえ、結果的には

虎の威を借るためのものに

すぎなかったとしても


療育センターの小児科医による

診断が必要なのです。


と、いうようなことを書いた。


それは


嫌がらない程度なら、言い直しは必要なんだよ。」

そう言って譲らない人が

SNSの世界にはいるからです。



表出性言語発達遅延

という個々の子どもの「状態」
に対する専門家が

SNSの世界には

いったいどれだけいるのだろう。




嫌がらない程度とは?

子どもが

コミュニケーションを

拒否したり、 


イライラの兆候を見せるまで

ということでしょうか?


と私が書いたのは

「〇〇をさせない」


その意図が

SNSでは伝わらないということに

気がついた頃だったからです。





いつも兄の後を

ついて歩いていた幼き日の僕


僕にとっては

とても頼りになる存在だった兄


ときどき、騒ぎを起こす反面

児童期の途中から難病を患った兄のことを、


小学生になった僕に 

聞く人は多かった。



「おにぃちゃん、

こんどは何をしたの?」

「おにぃちゃん、大丈夫?」





そんな兄に

隠れるようにしていた

つもりは全くないが


僕は


母にプリント類を見せなかったり

その上それをなくしたり

提出物を出さなかったりする

小学5年生になっていた。




以前、シュールなりくくんを

「シュールではない」と思い込み

「シュールな言動はいつも兄」


そんなふうに

ブログにも書いたことのある母親は


私である。


落ち着いて振り返ったなら

りくくんは、


とてもおもしろかわいく そして

結構シュールな幼児から

形容しがたい小学生になり


友人たちにもシュールと言われる中学生活を経て、趣深い高校生になり大学生になった。


と書けば数行


小学校は6年間


シュールな男児の

「とらえ難さ」は

小学校高学年が最も

顕著だったように私は思う。



長男の小学校時代には、入退院を繰り返すという特殊な事情があった。

それ故に、難病による生活制限という弱さ(発達上の不利益になりうる要素)が


一種のアイデンティとして、いい方向にさえ働いていたのではないかと思うこともある。


直前まで入院していたのに
運動会、学芸会、修学旅行に参加する。


小学生としては一般的な行いが本人の満足感につながったり、また周囲からの応援や肯定的な反応を得ることもある。


一方、りくはどうだろう。

すっかりキャッチアップして
「俺の優秀な弟」と兄本人から言われるまでになった

小学生時代


私は、りくの担任の先生との
重要な2度の面談を記憶している。

一つは定期面談で、
一つは呼び出しである。

定期面談のとき
20代半ば以降後半あたりか。
とても可愛らしい女性教員だった。

その先生とは縁があって
今もときどき互いの様子をやりとりできる環境にある。

ご主人はたまに我が家に来ていて
その先生は、小さな3人の子どもさんの素敵なママとして奮闘しているところである。



僕は

母にプリント類を見せなかったり

その上それをなくしたり

提出物を出さなかったりする

小学5年生になっていた。


先生は、そういうりくの日常について私に話した。

「家庭学習ノートを
提出しない」

決まったノートに、児童自身が自分で決めたなんらかの学習をして

そのノートを先生とやりとりする。

そういうルールが
そのクラスにはあった。

そこに、りくは
参加しない。

事実は、ただそれだけであるが
その解釈は無数である。