まだ学生だった彼がくれた
『星の王子さま』


当時の私が何度もラッピングをしなおしたのは、そのラッピングに彼らしさを強く感じていたからであるが


彼と別れたあとは
そのラッピングをはずせなくなり


結婚してからも
離婚してからも

この本はラッピングされたまま
10年以上の時を超え

幾度の引っ越しを乗り超えて
持ち歩かれていた。




読むたびに
感じることが違うんだよね



そのあとに

そのときの自分の年齢とか
経験とか、心の状態とか

多分、そういった言葉を
つないだと思うが

ふたりの間にあった
会話のほとんどを
私はもう、覚えてはいない。









包み紙をはずした時のことも
この記事を書いたときのことも
なんとなく覚えている。

「おにぃちゃんやりくが
気軽に読めるように」



プレゼントの
ラッピングをはずすために

なにか理由が必要だったと
いうことである。


もし、私が彼と結婚していたら

不幸になっていたとは思わない
けれどもそれならば 
だれと結婚しようが同じである。


離婚につながる結婚であっても
べつに不幸ではないのだから。



読むたびに
感じることが違うんだよね


早くもそろそろ30年が
たつのだろうか。


 
 

ぼくは、おどろいたあまり、目をまんまるくして、ぼくの前にあらわれたぼっちゃんをながめました。


くどいようですが、ぼくはおよそ人の住んでいるところから、千マイルもはなれているところにいたのです。


だのに、ぼくのぼっちゃんは、道に迷っているようすもないし、つかれきっているようすもないし、のどがカラカラになっている様子もないし、こわくてたまらないようすもありません。


どこからどう見ても、およそ人の住んでいるところから千マイルもはなれている砂漠のまん中で途方に暮れている子どもには、とても見えないのです。


ぼくは、やっと、口がきけるようになると言いました。


「だけど…あんた、ここでなにしてるの?」


すると、ぼっちゃんは、とてもだいじなことのように、たいそうゆっくりと、くりかえしました。


「ね…ヒツジの絵をかいて」


ふしぎなことも、あまりふしぎすぎると

とてもいやとはいえないものです。



 





 



愛読者それぞれが、そのとき自分に合った名言を見つけられるのが、『
星の王子さま』の魅力です。



サムネイル

なぜ花が役に立たないトゲをつくるのか、そのワケを知ろうというのが、大事なことじゃないっていうの?



ぼくは誰なのか
王子様は誰なのか
きつねは誰なのか
バラは誰なのか






薔薇に対するヨーロッパ人の賛美を、我々は分かつことをえない。 薔薇は桜の単純さを欠いている。新渡戸稲造


美しいバラが
昔のバラや優れたバラを 
参考にしたりなどするであろうか。 
ラルフ・ウォルドー・エマソン


若い女の頬を薔薇に擬えた

最初の男は

まぎれもなく詩人だった。


そして


それを繰り返した最初の男は

たぶん間抜けだった。


サルバドール・ダリ