武士道が築き上げた活力
荒波のように押し寄せた西洋文明は、既に我が国古来のあらゆる教義の痕跡を拭い去ってしまったのだろうか。
一国の国民の魂がそんなにも早く死滅するとあれば、それは悲しむべきことである。
外国の影響にいともたやすく屈服してしまうとなれば、それは貧弱な魂だったといわねばならない。
国民性を形成する心理的要素の集合体が、固く結びついて離れないのは
魚のひれ
鳥のくちばし
食肉獣の牙
のように
その種に欠くことのできない要素と同様である。
ル・ボン(フランスの心理学者)は
その著作の中で
「知性による発見は人類共有の遺産だが、性格の長所や短所はそれぞれの国民が継承する特有の遺産であり
それは何世紀にもわたって日夜、海水で洗われ、ようやく表面の粗さがとれた固い岩のようなものである。」と述べている。
この絵本、深いわ。
おたまじゃくしと
こざかながメイン。
おたまじゃくしに足がはえて
カエルになるのを
ショック過ぎて
受け入れられない
こざかなとの衝突から始まる(笑)
まぁ、そりゃ魚からしたら、唐突すぎて受け入れ難いわな(笑)
カルチャーショック!!!
やがておたまじゃくしはカエルに成長して
水の中から出てどこかへ行き
かえって来た頃には
広い世界を見てきた
ロマン
のような感じで
冒険譚を聞かされる。
・
・
・
酔っぱらいの
成金オヤジから
自慢話を聞かされている
だけのように思えるが(笑)
さんざん自慢話をした挙句、またどこかに消えるカエル。
魚は成長して大きくなり、自分も広い世界に!と意気込んで
陸地に着地。
するとまぁ、魚だから身動きが取れません。
「助けて!助けて!」とバタバタしているうちに、魚だから弱っていきます。
たまたまた近くにいたカエルが発見して、魚を水の中に戻して助けるわけで
最後にカエルが魚に発した言葉が
「さかなは さかなさ」
ちょっと待て、これってどういう話?
感動的なクライマックスがあるとかそういうオチではない?
単純にカエルが自慢話をさんざん言い散らかして
魚がうらやましいなぁってなって、憧れを現実に変えるために
勇気を出して一歩を踏み込んだら、魚故に不可能だと思い知ることになり、挙句自由に動き回れるカエルからの辛辣な言葉で現実に打ちのめされるって物語なのか???
だとしたら、酷(笑)
精神的に未熟な人が
無意識にやっている習慣
■1
人の話を平気でさえぎるor話が長い
「聞いてほしい」
そんな気持ちは
みな同じ
人が話していても平気でその話をさえぎって割り込んでくる、困った人っていますよね。
会議でも飲み会でも10人いれば一人くらい、人の話をさえぎって自分の話を始めるような自己中心的な人がいます。
こうした場合に良くないのは
周囲の人が『また始まった』と不満を持ちつつも、それに付き合ってしまうことです。
そのため自己中な人は
『あ、私の話をみんな聞いてくれている』
と、余計に勘違いをしてしまいます。
相手が偉い人だと「すみません、今、〇〇さんが発言中です」とは言えないのもわかります。
そういったときは、このように指摘するとよいです。
『他者の話には宝物が眠っているかもしれません。それを探す気持ちで耳を傾けてはいかがですか?』
自身が気づかない限り、その人は
『自分が興味のない他者の話は
聞かなくてもOK』
という、長年構築された自己中の法則に、無意識的に従い続けてしまうのです。
また、発言やスピーチで話が長すぎる人も同様ですね。共通しているのは、一方的に自分が話すことである種の達成感や自己満足を得ようとします。ですから、『相手だって話したいはず』という、他者を察する思いが欠落しているのです。
『話が長くなっていないか、周囲は退屈していないか』など、周囲の表情や空気から察して臨機応変に話を変更する、切り上げるなどの判断ができるように成長したいものですね。
■2
自分が成長できないことを、他者のせいにする
自分が成長できないことを他者のせいにして愚痴ばかり口に出す方っていますよね。
一見、自分に不向きな仕事を割り当てられたとしても、それをそつなくこなし新たなスキルを獲得する人もいれば、『こんなのは自分がする仕事ではない』など、愚痴ばかりで成果が出せない人もいます。
その違いは何かといえば、
『成長できるかどうかは自分次第』
『どんな仕事にも学びや成長の機会がある』といった考え方ができるかどうかの違いでしょう。
何事においてもすぐに他者のせいにする人は、根本的に成長しにくいため、将来的にも大きな仕事は任せられないと判断されてしまうでしょう。
■3:
気がつくと、他者を蹴落とそうとする
他者の悪口は結局自分に返ってくる
受験、就職、出世競争などライバルとの競争が続く中、いつのまにか「他者を蹴落とす人生」に生きがいを感じてしまう人もいるようです。
受験や出世を自分との闘いと感じられる人と、他者との闘いと捉える人がいます。
精神的に未熟な人は、他者との闘い、つまり相対評価で『相手は低い存在で、自分は高い存在』というプライド、価値観を醸造し続けます。
そのため、気づくと他者の悪口や欠点を、それがさも真実かのように指摘するなどして、自分がいい評価や立場が得られるように画策してしまうわけです。
人生は自分との闘い、つまり、問題は外や他者にあるのではなくて、自分が成長するかしないかの問題だと考えられる人ならば、他者を蹴落とすという発想には至らないわけです。
自分自身の足りないものに気づき、それを補うべく成長する努力をすれば、他者とは関係なく評価というものは自然とついてくるものです。
人生はあくまでも自己成長の場であり、他者との評価を比べる場ではないということです。
当たり前のことですが、改めて肝に銘じておきましょう。
■4
古い習慣·価値観をアップデートしない
若い頃のままの食事習慣は見直すべき
私たちは昔から身についている習慣・価値観をあまり変えようとはしません。
精神的に未熟な人はいわば『視野の狭い人』でもあります。ですから例えば、食事習慣なども若い頃と同じままで『このままでいいのかな?』と、疑問に思うこともありません。
ですが、社会人になって運動量が減り、また、加齢と共にやって来る筋肉量の変化や、代謝率の下降などに合わせて、『1日3回』という暗黙の了解で決めている食事習慣も見直すべきです。
もちろん食事に関してはそれなりに栄養バランスに配慮する知識なども必要となりますが、要は、子どもの頃と今はいろんな面が違いますので身についている習慣や価値観を見直すことが大事なのです。
■5
口だけは出すが、決して手は出さない
ああだこうだと問題点を指摘したり、クレームを出すことには熱心な一方で、その具体的な解決策には手を出さない人っていませんか?
精神的に未熟な人は感情的になりやすく、とにかく問題を指摘したいという思いが抑えられません。また、問題を指摘できている自分に酔いしれていたいのです。
一方で成熟した人であれば、問題の指摘と解決策の提案をセットで考え、それが示せるように熟考してから初めて指摘を口にします。
つまり、口も出す(問題点を指摘する)けど、ちゃんと手も出す(解決策を提案する)よ、という考え方ですね。これこそ成熟した社会人の在り方ではないでしょうか。
つまり「言うは易し、行うは難し」のごとく、口だけではなく手も出して初めて説得力のある行為となるということです。
■6
「がんばる」が口癖
僕は『がんばったら負け』だと思っていまして、そのことを著書『ざんねんな努力』にも書いています。
僕たちは子どもの頃から、親や先生などから『がんばれ、がんばれ』と呪文のように聞かされて育つのですが、いつしかこの言葉の意味が『無理してでもやりなさい』であると多くの人は誤解してしまっているのです。
『がんばる=無理して』のままでは、いつか精神的に病み周囲に余計に迷惑をかけます。
がんばらずに=無理せずにできることは習慣化できている、ということなのです。
ですから一生懸命というひたむきさは尊いものですが、『がんばる=無理して』という誤解を抱えたままでは、精神的に未熟な人のNG習慣になってしまうのです。
やることに納得する
楽しさを発見する
がんばらなくても(無理しなくても)目標・習慣化を達成する方法はある、ということなのです。
かわした かずひこ
著書
『コネ持ち父さん コネなし父さん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
『ざんねんな努力』(アスコム)