「幸せ 」という
感覚を教えるといえばいいのかな。
将来を見通すことも必要ですが、今を大事にしてほしい。
どんなに勉強ができても、東大に入ってもいつも何かに後ろから追い立てられているような生活は幸せからはほど遠い。
親はいつも子どもを追い立て、子どもはいつも追われている。
追われる子もきついけど、追い回す親もしんどい。
切羽詰まっているとき
ベースにあるのは不安と緊張です。
これは学校を卒業してからも続きます。
今度は就職
就職の次は結婚
人間というのは
不思議と同じことを繰り返します。
イヤだと思いながらも幸せにならないことをやって しまう。
幸せとは何かを知らないまま成長してしまうからです。
本当に子どもの
将来を考えるなら
なおさら子どもに
幸せを教えないと
いけないんです。
シルバニアファミリーの大きな家とかを用意して小物も用意して、ポケモンキッズも用意して…
用意するのに結構忙しいみたいで(笑)いろんな小さいサイズの人形から、車から何やらを集めてきて、姉弟で動かして遊んでいる。
「僕はポテト~!ぷいぷい!」
「私はサーナイト!こんにちは!」
とか言いながら、何かしらのごっこ遊びを繰り広げるわけだ。
モルカーと
ポケモンのコラボ
彼らの世界観
ならではの
舞台だ。
モルカーとピカチュウ、サーナイト、ルカリオなどが戦ってるんだぜ?
「プイプイ!このやろー!」とか「電光石火!」とか叫んでるんだぜ?
さぞ素敵な世界だろう(笑)
遊んでいる最中に時折
「ねぇパパ~」と
呼んでくるけども
パパは
その世界観にあまりついていけず
多少参加するけども途中で退散する( *´艸`)
下の子は2歳の時から
片付けるというのを理解して
何をどこに片付けるかもわかってるから
頭がいいんじゃね?とか親バカ加減が出たりする。
片付けた後はだいたい
「ねぇパパ。僕えらいでしょ?ちゃんとお片付けしたよ」
24時間カメラをまわして24時間ずっと見続けていたい気がしますけどね。
そうなると
私の生きている時間が
ほとんど
映像を見るだけで
終わってしまう
困ったことに
最近こういうかわいい系の
キャラクターグッズは
何でも二人分用意しないと怒りよる。
モルカーなんて1種類だけだと確実に取り合いになって争う。
ということで
いつも私の
財布の中身は火の車!
世界観
世界、および、そのなかで生きている人に対して、人間のあり方という点からみた統一的解釈、意義づけ。
言い換えれば、世界に生きる人間という存在の本質や価値などを、どう捉えるかという全体的な考え方のことです。これには個人個人の感情や宗教的・道徳的な考えなども加わり、人生観よりも壮大なテーマといえます。
人間力とは「利他の精神」です。つまり、人間力の高い人とは利他の精神に溢れる人であり、人間力の低い人は利己的な言動の多い人だということです。そう捉えると実に多くのことがすっきりして見えるはずです。
幸せとは
大切な人に降りかかった雨に
傘をさせることだ
瞬きもせずに
目を凝らしても
みつかる類のものじゃない
誰かのために費やした人
自分を生きた人