Brevity is the soul of wit.

簡潔さは知恵の神髄


 

この本は、『バカの壁』『死の壁』の続編ということになる。

既刊の2冊に余計なことを書いたから、その後いろいろな相談を受けることになってしまった。



「おまえのいうことを

具体的に自分の例に

当てはめたら


どういうことに

なるのか」

 




その種のいわば 

身の上相談が増えてしまった。



他人に相談するときに

具体的な答えを期待する人がいる。


「どうすれば

いいですか???」


フリーター、ニート、「自分探し」

少子化、心の傷、男と女、

生きがいの喪失等々 


 

それは、おかしい。

自分のことを決めるのは自分なのだから


相談とは、根本的には

「考え方」についての疑問である。


はずなのだ。



 

他人に伝えることができるのは

「考え方」だけである。


具体的な事情は、当人しか知り得ないからである。

 

バカの壁を超える方法とは


考え方は

自分の頭で生み出す










「どうしたらいいですか?」

と、自分のことを他人に聞く人が


「自分らしさ」「個性」

と、声高に叫ぶところにある矛盾





 

私の批評がたとえ悪口に聞こえたとしても、悪口ではない。


悪意も利害関係もないからである。


「私はそう思う」

という例だと思って、お許しいただければ幸いである。






自分にあった仕事なんて   なくて当たり前


最近は、穴を埋めるのではなく余計な山を作ることが仕事だと思っている人が多い。


社会が必要としているかどうか 

という視点がないからです。


穴を埋めるほうが、山を作るよりも楽です。


普通の人は、そう思っていたほうがいい。

俺が埋めた分だけは、平らになったと。


平らになれば、歩きやすい。

山というのは、しばしば邪魔になります。


合うとか合わないではなく、「引き受けたらやる」のが仕事。


仕事は、おまえのためにあるわけではなく社会の側にあるんだろうということです。





個性と自己は        はじめからそこにある

   

個性に自信がない

ナンバーワンよりオンリーワン

人間はそれぞれ個性をもっている


そのとおりです。  


そもそも、個性というのはあるに

決まっている。


確信が弱いからこそ 

他人に認めてもらうために


わざわざ声高に主張するのです。


自己を確立するというけれど

確立するまでもなく、はじめから

そこにある。


わざわざ確立したがる人がいるとするならば 


自己というものへの

根本的な錯覚がそこにあるのです。 


「自分らしさ」を探し求め、自己をわざわざ確立しようと言いながら 


子どもには、子どもらしさよりも

早く大人に近づくことを要求し


「男らしさ」「女らしさ」というような物言いは封建的だから駄目だという人までいたりする。


でも「らしさ」を認めるということは、その対象に根本的な価値を認めているということなのです。


木はまっすぐの方がいい。


そんなのは、木の価値を

認めていることにはならない。


人にとって都合のいい

生え方だというだけです。




子どもらしさの価値を認めよう。


そういうと


電車で傍若無人に振る舞う子どもを放っておけということと混同する程度にしか


ものを考えられない大人が

たしかに実在することが

問題なのであろう。


それはそれで、叱ればいいこと。


ただ、子どもにはそんな面もある。

そう思って根本的には受け入れることが、大切なのです。