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仁王門
書写山ロープウェイ山上駅から、ゆるやかに登る参道を歩み、仁王門を経て摩尼殿までは徒歩25分ほどである。山上駅から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の道」と称され、左右に、西国三十三所の各札所本尊を表した銅像が設置されている(1989年完成)。
西国三十三所第27番札所 書写山 圓教寺
書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する。創建当初は「書写寺」と称した。仏説において書写山は、釈迦如来による霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられ、「書寫山」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれる。また、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられている。
大講堂(重要文化財) - 北側に位置する大講堂は、2重1階、入母屋造、本瓦葺。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間。下層は永享12年(1440年)に、上層は寛正3年(1462年)に建造され、文明年間(1469年 - 1487年)に全体が整備されたと考えられる。元和8年(1622年)、姫路藩主本多忠政により修復[52]。1951年(昭和26年)- 1956年(昭和31年)に解体修理された。もともとは寛和2年(986年)に参詣した花山法皇の勅願により、3間四方の講堂として建立。内陣には釈迦如来および両脇侍(文殊菩薩・普賢菩薩)像を安置する。
左より常行堂・食堂・大講堂
常行堂
常行堂(重要文化財) - 常行三昧堂。大講堂に向き合う位置に建つ。方5間、入母屋造の常行堂の北側に、正面(東西)10間、側面2間、切妻造の吹き放しの建物が接続する特異な形式の建物である。切妻造の部分は東半部を「中門」(寝殿造の中門廊に似ることによる)、西半部を「楽屋」と称し、中央部に唐破風造、1間四方の「舞台」が突出する。屋根はすべて本瓦葺。常行堂の部分は東を正面とし、常行堂の本尊・阿弥陀如来坐像を安置する。
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