剣山② | ✩.*˚꙳★*゚イェスルの忘備録꙳★*゚✩.*˚

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いよいよ、劔山本宮の鳥居をくぐって階段を上がります。
劔山本宮宝蔵石神社…


阿波忌部とは
忌部とは穢れを忌み清めるマツリゴトに従事する集団との
意味を持ち古代より大和朝廷の宮廷祭司や祭具・神殿を造る等
の職務を司ってきた名門氏族であった。徳島の忌部は阿波忌部
と呼ばれ、天日鷲命を祖神とし麻や穀を植え、吉野川流域の
粟国(阿波国)を拓いた。麻を植え良く繁茂した肥沃なる地は
麻植郡(吉野川市・美馬市木屋平)と名付けられた。近年の研
究で、阿波勢力(後の阿波忌部族)は、ヤマト政権の成立に大
影響を与え、日本各地へと進出し、産業の基盤となる麻や
穀をえ、農業、養蚕、織物、製紙等の技術を伝播させたこと
が分かってきた。その深遠なる歴史を伝承する意義をもつのか
阿波忌部氏は、歴代天皇即位の大嘗祭で大嘗宮(悠紀殿・
主基殿)の神座に神衣として奉られるあらたえと呼ぶ大麻の
反物を調進する重責を担ってきた。

剣山の由来と平家伝承
・徳島のシンボル、標高1955mの霊峰・剣山は、日本百名山
一つに数えられ、西日本第2位の高峰として一帯が、剣山
国定公園に指定され、山岳信仰の対象として崇められてきた。
標高1700m付近までは、リフトで登る事ができ、頂上部に
「剣山頂ヒュッテ」(本館・雲海荘)の宿泊施設がある。
クマザサに覆われた頂上からは徳島市内のみならず、鳥取県
の大山、紀伊水道までが一望でき、夜ともなれば360度の
パノラマで手に届くような星空と天の川が眺められる。又、
剣山には宮尾登美子さん小説、「天涯の花」で有名な
キレンゲキョウマ(天然記念物)をはじめ貴重な高山植物が
群生している。剣山は、かつて石立山(太朗笈、太朗山)
と呼ばれ、元々は吉野川水系の水源地を司る山神として宝蔵石
を磐座に、古代より忌部氏が崇拝してきた神聖なる山であった
それ故に「阿波史」では「忌部の神」を祀ると記された。
現在は、宝蔵石を御神体に「剣山本宮宝蔵石神社」の
社殿が置かれ、素戔嗚命と安徳天皇の二神を祭神とする。
・徳島の平家伝承は、つぎのようにまとめられる。平安時代末
1185年、讃岐屋島の戦いで平家方が劣勢になると、田口左
尉成直は、父の田口成良と計り、安徳天皇のはじめ平国盛
平家の人々を逃した。一行は、讃岐の水主庄へと入り、白鳥
より阿波の大山を越え、吉野川を渡り、井内谷(三好市井川
町)から峻険な寒峰を踏破して東祖谷を平定した。一方、
平知経と安徳天皇の一行は、忌部氏を頼って東宮山の屋根筋
を越え、木屋平の森遠に内裏を設けた。森遠の小屋平氏はその
末裔で「木屋平」の由来は小屋の内裏の小屋と平家の平を
合わせ名付けられたという。
その後、国盛が祖谷を平定した由を聞かれ、富士之池(木屋平
川)を仮の行在所とし、平家の再興を祈願して宝蔵石に天皇の
御剣を奉った。これより以降、剣山及び剣山大権現と呼ぶよう
になった。
その後、一行は東祖谷で過ごされたが、平家再興の夢は叶わず
天皇は、東祖谷で幼くして崩御それ「栗枝渡八幡神社」 がその
火葬場跡とされる。

剣山忌部修験道
・修験道とは、霊山に籠り厳しい修行を行うことで、神秘的な
力(霊験)を得て、その力で自他の救済を目指そうとする日本
古来の山岳信仰と密教とが集合した神仏集合の宗教である。
その実践者は修験者・山伏と呼ばれ、開祖は奈良期の大和葛城
山を行場とした役小角(役行物)とされる。・修験道は山中の
神社や寺院に拠り所を求めた。吉野川した山川町の高越山の
高越寺では、徳島最古の忌部修験道が創始され、大和の大峰山
に対し、西上山と呼んだ。その起源は少なくとも鎌倉期まで
遡る。一方、剣山の修験道は、山頂の「劔祠」劔神社を背景に
成立したと見られる。

剣山「奥参り」と劔神社本宮例大祭
・剣山の先達に連れられた登山者は法螺貝と鈴の音に伴って
行進し、まずはこりとりがわでの水行に挑んだ。次に、六根
清浄を合掌しながら進み富士之池で宿泊。翌朝2時頃より「奥
参り」と称し、身軽な装備でお祓いを受け、細綱引きを全員の
帯に通し、前後の端を先達が持ち行動した。そして追分、一の
森神社、二の森神社を参拝し、約3時間かけて登頂。御来光を
拝み、劔神社(宝蔵石神社)に参詣した。次に、「古劔神社」
(古劔権現)の周辺で修行を積み、最終は大劔神社(御塔岩)
に参拝し、御神水を汲んで下山する慣習があった。その行場に
は、不動の岩屋、お鎖、鶴の舞、蟻の塔わたり、胎内くぐり
等がある。下山すれば、一字(つるぎ町)に降りて土釜・鳴滝
等を観光、神山・石井町へ出る場合もあった。・かつて「劔山
本宮劔神社」の例大祭は富士之池で、修験者が2つの綱を持ち
急傾斜面に立つ木々に綱を括り付けながら危険な神輿渡御を
行っていた。しかし、富士之池の「劔山本宮」は昭和51年
9月の風水害による崖崩れで壊滅してしまった。そこで「宝蔵
神社」に合社することになり、昭和52年からは「宝蔵石神社
(元の劔祠)で例大祭を執り行うようになった。昭和58年に
神輿をヘリコプターで空輸して山頂に運び、現在の神輿渡御
始まった。平成5年には、「宝蔵石神社」の社殿が改築され
現在に至っている。・御神体である素戔嗚命と安徳天皇は5月
3日~4日の剣山表参道山開き神事「奥かけ神幸祭」で御分霊が
富士之池の本社から劔山本宮宝蔵石神社に遷され、7月17日に
例大祭が行われる。当日は、劔山本宮宝蔵石神社で御神体を
神輿に遷す神事が行われ、11時に山頂を目指す神輿渡御が始ま
る。法螺貝が響き渡る中、約30度の急傾斜の難所を潜り抜け、
クマザサが茂る平家の馬場を猿田彦に扮した天狗が先導し、次
に綱を引く者、神輿を担ぐ行者、神器を持つ者、平家の御旗を
持つ者、崇敬者等が付き添い、心身を清める。六根清浄という
言葉を全身全霊で唱えながら勇壮に練り歩き、国土安穏が祈願
される。神輿が頂上の三角点に着くと神職が国家安穏の四方祓
いを行う。還りの御旅所では、劔の舞が奉納される。それは、
那賀町木頭の木頭忌部に伝わる舞で、平家再興への願いがこめ
られている。江戸期に阿波に入国した蜂須賀候は、阿波忌部が
もっていた古代・中世以来の権威や勢力を封じたとされ、劔の
舞には、安徳天皇と平家の鎮魂、忌部復興への思いが重なり合
っているという。神輿は、12時頃に還り、御神体が、神社に戻
される。宝蔵石の前では、本宮特殊神事「御宝剣加持」が行わ
れる。劔山本宮の御神体は、11月2~3日の先達の閉山神事
「奥かけ還幸祭」により、富士之池の本社に還され1年が終わ
る。


剣山山頂  9:30

頂上ヒュッテにて 10:15  
これより、大劔道コース1200mにて下山します。

鶴岩亀岩
大劔神社

お塔石



西島駅リフトで降りて行きます。この時点で11:22

リフト下りは、高所恐怖症の私には過酷でした。目を瞑って
いますガーン
劔山本宮宝蔵石神社の磐座にて、色々気付きがありました。
イスラエル遺跡の旅は続きます…

最後迄読んで頂きありがとうございます~天使天使天使



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