ジャン・ミシェル・バスキア
1977年
ニューヨークの地下鉄で、壁にペインティングしている少年がいた。
少年の名はバスキア。
高校を中退して、Tシャツやポストカードを売り歩いていたバスキアは、
10年後にはニューヨークのアート市場で知ない人はいない存在になると誰が想像できただろう。
無名だった彼は自分の足で、自分を宣伝していき、
当時新しいアートを開拓していたキースへリングやアンディ・ウォーホルらと出会います。
よき理解者であり、戦友だったと思います。
開催個展も成功していき、順風満帆にみえた人生。
しかし、変わりゆく環境に慣れず
次第にヘロインにはまってしまい…
27歳の若さでヘロインのオーバードーズにより亡くなります。
一瞬の輝きをみせ、あっという間に去ってしまったスターは後のアート界の語らいぐさになりました。
彼の絵は、文字が殴り書きされ、人物も抽象的、一見落書きのようにも見えるえど、命を精いっぱい真っ当している強烈な色を表現しています。
黒人のピカソと言われるのは光栄だが、嬉しくない。
白人だったらそう言われないだろうから
そして肌の色で偏見をもつ世の中に悲観していて、それは作品にも表れています、。
僕はバスキアの作品をみていると、描くことがほんと大好きで、無意識に描き続けているような勢いが好きで
Tシャツやポストカードを昔から集めていました。
絵を描き始めて終わるまでの間、芸術について考えたことなんかないよ。人生について、考えようとしているのさ
本人は地位やお金なんてそんなに必要としていなかったんだと思います
そして、元カノのマドンナの言葉にすべてが要約されているように感じます。
彼が生きるにはこの世は繊細すぎた
時代に揺られ
流れ星のような強烈な輝きを放ったバスキアのような存在はなかなか現れません。