先週、笹井さんと今後子供を作るかどうか。ということを話して、
ちょっと、自分の問いかけ方に後悔しています。
あんな言い方はなかった。
二人のことなのに、私の方向性も決まらないまま、笹井さんに決めろというなんて。
自分のカードは伏せたまま、相手のカードを見せろというようなものだ。
ただ私は自分の年齢の焦りや周囲の言葉に勝手に傷ついて、誰かにわかって欲しかっただけなのだと思う。
そこに自分が子供を欲している理由なんてなかった。
行動に移すなり、何もしないなりに「笹井さんがそう言うから。」という理由付けが欲しかっただけだ。
卑怯である。
謝ろう。でも謝る前に自分がどうしたいかを考えよう。と思い、この一週間考えてみた。
考えたところで未知の領域。人類どころか、生物の種の保存本能まで遡って考えた。
クモやカマキリの雄は交尾後、雌に捕食されることがしばしあるという。
アンコウは出会った雌に噛みつき融合され寄生して生涯を終える。
このような動物に置いての「本能」はあくまで自然界を生きるための「本能」であり、人間の社会ではこの表現は妥当ではないという。
昔は人間は「本能」が壊れた生物である。と言われていたが、最近では専門用語として「本能」という言葉を使うこと自体がなくなってきているらしい。
いやはや素晴らしい。
万物の生命の維持のために生殖本能や種の多様性の考え方はなかなかシンプルであり複雑でもありました。
しかし、私が子供を欲しいかどうかの答えはそこにはなかった。
何を考えているのだ私は!
ということで、笹井さんに謝るだけ謝りました。
笹井さんはキョトンしてなぜ私が謝っているのか、種の保存について話しているのかわからないけど謝る必要はないよ。と言ってくれました。
でもとにかく、やった後悔よりもやらない後悔の方が後々大きくのしかかることは今までの人生で実感しているからチャレンジできるならチャレンジしたい。ということを伝えました。
 
こんなめんどくさい私の手を握って頷いてくれるのはこの先笹井さんしかいない。
ちょっと泣きそうになった日でした。