私の夢
いつも、安心して安らげる憩いの場を
作りたいと願っていた
そこで、絵本を読んだりセッションをしたり
絵画.造形教室をしたり
美味しいご飯をみんなで食べて笑って
ホット安心できる
なんだかホッと出来る場
この場は1人ではなくてみんなで
創りあげているイメージ
私はこの場を作りたい
そんな夢が思い浮かんだまま
そのままにしていたけど
今日は言葉にして書きたいなと
思います
この夢がなぜ私の中にあるのか
それを紐解いていくと
わたしの幼少期の経験からきている
私は年長の時に登園拒否になった
周りの環境に馴染めず
いつも泣いていた...
気づけば、先生に怒られ廊下に
いてもポツンと立っていた
初めてビンタをされたのは
先生だった
泣きすぎて自分がなぜ泣いているか
わからなかった
楽しいはずの時間が
悲しい時間でしかなった
お母さんの作ってくれたお弁当も
食べれず、口に入れると吐いてしまう
当時を振り返ると、拒食症の状態
幼稚園では辛いはずなのに
私は親に行きたくないと一言も
言わなかったらしい
頑張って耐えて、泣いて
泣いてた私
行かなくなった理由は
ドクターストップがかかったから
わたしの母は、この私をみて
相当悩んだと思う
あの時、必死に子育てをしていたから
そして、先生からは
「この子は将来どんな子になるか
わかりません」と言われた
世間から見ると
扱いにくい子
融通がきかないこ
この言葉は、母にとってずっと
心に残る言葉になっていた
それから時を経て
私は保育士になった
わたしが保育士になるとは
私も母も思わなかった
でもね、私が保育士で経験したことって
あーすべて必然だと思った
保育士になり、クラスを持ち
先生と子供という関わりの中で
いろんなことがあった
いろんな苦悩があった時に
少しだけ、あの時の先生の気持ちが
わかった気がした
先生も、あの時必死だったんだなぁ
あー、一生懸命だったんだなぁ
そして、自分が受け持ったクラスの
子供が登園拒否になったりもした
やっぱり、
自分を責めたし、子供の気持ちも
わかるし、どうすればいいんだろうって
思った
同じ立場になり、初めて
気持ちがわかり、許せる気持ちになった
で、あの時の母のことを想うと
あの時、誰かに相談できたり
気持ちをわかってあげられたり
寄り添ってくれる人や場があったら
母の気持ちも救われたり
軽くなったよね
1人で抱え込まなくてもよかったよね
私もあの時の記憶は悲しいしか
なかったんだけど
本当はあの時普通に
楽しいをたくさん感じたかったし
たくさん遊びたかった
たくさん笑いたかった
私というものを体いっぱい
表現したかった
そんな私と母の
あの時体験できなった想いを
形にしたいなと思うから
わたしの夢は
誰もが安らげる場を創って
みんなで楽しめる場を提供したい
あの時に私に
あの時の母に
「大丈夫だよ。安心してね。」
って私は言ってあげたい
ここは、自由に表現できる場所だから♡
母と私の想いを形にしていきたいと
思います^_^
夢は夢で終わらせないのが夢
漠然と抱えていた夢だけど
なぜ、私は叶えたいの?と
紐解くと、私と母の過去の
出来事から答えが出てきた
やっぱり
過去の傷ついた経験さえも
無数の宝物だよね!
って思う