構造という陽に機能という陰



構造という具体に機能という抽象



見た目という構造を追求することは機能面を犠牲にする



そのことを思ってボディメイクなんかで筋トレしていれば問題ない



機能を追求することは構造を犠牲にするのか?



可能性はゼロではないが



機能つまりは見合った動きに構造はおのずとついてくるのではないか?



その構造は審美眼的には悪になるのかもしれないが



長年町中華で調理されている大将のあの円背様姿勢は仕事上完璧で機能美すら感じる



解剖学的安静肢位とはかけ離れていても



あの円背様の姿勢が見合っていて、笑みを浮かべて「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」が言えれば何も問題ないのでは?



もちろん最低限の構造は必要



それにしても構造ばかり追求すると、犠牲となる部分が多すぎやしないか



構造変わっても機能変わらず、結果幸せにならない例はよく見る(手術して…とか)




構造も大事だし、機能も大事



変えられることでいえばやはり機能



今ある機能に、これまでになかった機能を足していく作業



それがリハビリの場面だろう