世の中で言われる傾聴は



自分を無くしてただただ話を聞く



これだと一方的な関係のため対極になる



じゃあ太極瑜伽する傾聴は?



自分の価値観は持ちながら



相手の価値観を含有しようとする



その態度で話を聞く



誤解がないように確認して曲解へと変えていく事は必要



そのためには会話のキャッチボールが必要で



世の中の傾聴からは外れる





傾聴の中に相手の価値観を含有しようというおもいがあれば



自然と確認したり、相手に質問したりするのが普通



つまりは傾聴という言葉は



学びの意識があるだけで会話までオートマチックに進むことを意味している言葉なのかもしれない