良かった!



楽しかった!



変化した!



そんな意識に上がるものは全て実感



実感を求めるのは悪くないし、人間の本能として求めてしまうのは仕方ない



しかし実感ばかりを求めると



大脳、筋が大喜び



もっともっと、とより強い実感を求めていくことになり



ちょっとやそっとでは実感出来なくなるレベルまで到達したりする



あとエセ実感(ワタシがつくった造語)



実感した、と思いたい



思い込みで作られた幻想ともいえる実感



先生に申し訳ないから、という理由で実感したと思い込む



プラセボ効果でいい方向に向かう可能性はあるけども



どこかスッキリしないものが残りそう



集団でいるとこのエセ実感、多い氣もします



そこで見極めたいのが体感しているかどうか?



体感は無意識の反応なので



当人に実感はない



何となく、〜氣がする、というレベルで感じている可能性はあるが



実感は限りなく弱い



そこは他者が氣づくもの



だからこそセラピストは体感しているかどうか?の診断評価をする必要がある



特に変わりはないです



と言われても、何かしら変化が見て取れるとすれば



それは相手の体感がある、という証



目指すべきは体感させることに尽きる




最近、患者さんを見る目が変わったからなのか



色々な學びが出来ています😄