➖翔回想語り➖
『その後も、父親は度々僕を職場付近で待ち伏せするようになりました。
「先生、うちの娘、もう一度診てくれないか?
他んところは、門前払いくらっちまうし、、
カタギじゃなきゃダメなら、足を洗う!約束する!
だから、お願いだ先生!この通りだ…」
そう言って何度も頭を下げてお願いされたんです。
大学病院というのは、時としてとても冷徹な場所です。一度でもそうした組織との繋がりがあった人間は、たとえ足を洗ったと訴えても、カルテのシステムから消えません。
この地域は他病院との連携が強く、ブラックリストに乗った患者さんは、リスク回避のため、同じ対応が取られたんでしょう。。
僕自身も大学病院の規則に従わなかったことで厳重注意を受けたばかりだったので、
娘さんのことは心配でしたが、どうしてやることもできなった…
いや
…逃げて、いたんです。。
そして、ある日ーー。
通勤途中の静かな路地裏で、父親が必死な形相で待ち構えていました。
「朝から呼吸が変なんだ!病院でダメなら、じいさんみたいに先生がうちに来て、診てやってくれよ!!頼む!!」
かつての強面が嘘のように、身なりまで整えた父親が、我が子を助けたい一心で、膝をつきそうになりながら絞り出した声でした。
処分なんてもうどうでもいい
僕は父親の元に駆け寄った、
その瞬間ーー
乾いた破裂音が響きました。
組織を抜けた彼を狙った、かつての仲間たちの銃口でした。
反射的に体が動いて庇った僕の体に、鈍い衝撃と激しい痛みが走りました。
私が意識を失う間際、男の人が必死に私の名前を呼び、血まみれの腕で私を覆いかぶせるように守ろうとしてくれました。
彼は出血多量のショック死。
そして、僕は命こそ取り留めたものの、長期の昏睡状態に陥りました。
右脚はその時の後遺症です。。
昏睡から目を覚ました病床で、
刑事から信じられない事実を告げられました。
父親が亡くなったあの日の夜、家には小さな娘さんが取り残されていました。
母親の遺影が飾られた仏壇の前で、その小さな身体はすでに冷たくなっていたのです…。
救急車を呼ぶこともできず、父親の帰りを一人で待ち続けながら、喘息の重責発作によって命を落としてしまいました…。
その手のひらには、お守りのように父親の写真がぎゅっと握りしめられていたといいます…。
身動き一つすらできないまま、白い天井を見上げるだけのベッド上で、
僕はただ、その痛ましい報せを聞くことしかできませんでした。
医療とは、いったい何なのだろうか?と
僕は、今でも考えてしまいます。
命を救うために白衣を着たはずの自分が、
規則という名の冷たい壁に阻まれ、助けを求める親子を救えなかった……。
ーー退院して、僕は大学病院を辞めました。
そして
祖父が残した診療所を再開したのです。
それは自分への戒めでもあり、
もう二度と命を取りこぼさないという、
覚悟の決断でした。。。』
つづく……
