機能性胃腸症の私と摂食障害の娘 -2ページ目

摂食障害の娘との日々7️⃣

娘が退院した。
閉鎖病棟で約3ヶ月を過ごした娘にとって、家での生活は制限もなく、楽しいものだった。
「毎日お風呂に入れるって幸せだね^ ^」
「今日のご飯、何作ろうか?私、魚が食べたい^ ^」
でもそれも数日間だけだった。

退院してから1ヶ月程は過食期が続き、食べても食べても満足せず、でも太る事に恐怖を感じ、毎日戦っていた。
過食期が過ぎると、食べる量を制限し、毎日2時間以上の散歩に出かけていった。
私の母との関係も修復せず、家に居るのが辛いし、散歩してカロリーを消費する事で気持ちが楽になるらしい。

家での生活に慣れてくると、食べる物にこだわり始めた。
揚げ物を食べたら、次の食事は魚かサッパリとした物。味噌汁には野菜を沢山入れて、油揚げや肉はあまり入れない事。
娘の希望を叶える食事を毎日用意するのは大変だった。
仕事で夜に家に居ない事もある私は、3食分を作り置きしたりする日もあった。
温め直しても美味しい物、娘の希望を叶えたメニューを考えるのはストレスだった。
でも、食べてもらえる様に頑張った。
自分の時間なんて、ほとんど無かった。
娘がまた入院する事のない様、全力で毎日を過ごした。
娘の病気は私のせい。
自分が楽しむ時間なんて作ったらダメなんだって思った。
職場の飲み会でさえ、罪悪感を感じていた。

8️⃣へ続く

摂食障害の娘との日々6️⃣

少しずつ表情が柔らかくなっていく娘。体重も増えてきて、ふっくらとした顔。まだまだ体型は見るに耐えない感じではあった。
入院して2ヶ月が過ぎた頃、退院に向けた外泊の話が主治医から出た。
娘も了承し、私が2連休の時に合わせて自宅へ外泊した。
1日目は買い物や美容院へ行き、お昼はオーガニック系のレストランで2人で食事をし、夕食は娘が作りたいと言った鮭のネギ味噌焼きを作って2人で食べた。
2日目の朝は病院と同じ8枚切りのパンが安心するとの事で、パンを2枚とほうれん草と卵のココットを作った。昼は豚肉の生姜焼きを作って食べた。
そして夕方、病院へと戻った。
「病院戻るの、ちょっと嫌だな。」と独り言の様に呟いた娘。
それから1週間程で退院となった。

7️⃣へ続く。

摂食障害の娘との日々5️⃣

死にたい、死にたいと思いながら娘の面会に行き、寝る為に飲む薬の量は増えていた。私自身、数年前に体調を崩し、軽い安定剤を飲み続けている。量に関しては自己調整して良いとの事だったので、1日の上限を守り、寝る前にまとめて飲む様になった。
それでも眠りは浅く、新たに薬を処方してもらった。
2つの薬を日によって使い分け、薬で何とか眠る日々。

自分が生きてる意味が分からなかった。
私は子供を産んではいけなかったんじゃないか?
そんな事を考えながら、いつもの様に面会に行く。
すると娘の表情が少しずつ柔らかくなってきている気がした。
会話をする時間も増えてきた。

娘なりに、私が必死で頑張ってる事を理解して、主治医の先生との信頼関係も築けてきて、自分の思いを先生に言える様になってきたみたいだった。
病院での食事にも慣れ、体重が増え始めた事も精神状態の改善に繋がっていた。

死にたいとばかり考えていた私に、ほんの少しだけ光が見えた気がした。

6️⃣に続く。