機能性胃腸症の私と摂食障害の娘 -3ページ目

摂食障害の娘との日々4️⃣

私の決意は少しずつ私の精神状態に影響していった。
娘が入院して1ヶ月。休みなく面会に行き、少しずつ体重も増えてきた娘を嬉しく思っていた。でも娘にとっては太る事は苦痛だった。
私はなるべく明るく笑顔で接した。
その笑顔がよい反応の時もあれば、悪い反応の時もあった。悪い反応の時はあからさまに嫌な顔をし、私を拒絶している様に感じた。
仕事をしながら面会に行き、家に戻れば娘の服を洗濯し、足りない物を買って持っていく日々。自分の時間は夜に携帯で動画を見る1〜2時間。それも睡眠時間を削って見ていた。
辛い気持ちを吐き出せる人も居ない。一緒に住んでいる母は、入院している娘の心配など全くせず、普通に生活していた。
そんな状況が私には苦痛となっていき、やり場のない思い、娘は良くなるんだろうか?と疑問を抱き、体も心も疲れきっていた。
この頃、私は"死にたい"と思う様になっていた。
正常な精神状態であれば、娘を守れるのは私しか居ない訳で、死にたいなんて思うはずもない。
でも、この頃の私は完全に壊れていた。
もう頑張れない。このままの生活が続くなら、私が死んで、生命保険で私の母と娘が別々に暮らしたら解決するんじゃないかと本気で思っていた。

5️⃣に続く。

摂食障害の娘との日々3️⃣

娘が入院したのは精神科の閉鎖病棟。
摂食障害の人も多い病棟だった。
入院を決意させるまで、何も出来なかった自分が情けなくて、後悔ばかりしていた。
"もう後悔したくない!"
そんな思いから、休みの日はもちろん、仕事の前や仕事終わりも面会時間内に間に合う時は会いに行った。
携帯電話も面会時しか使えない。電話は病棟内にある公衆電話からかけるしかない状況だったので、交換日記を始める事にした。
この頃の娘はまともにコミュニケーションが取れない精神状態だったけど、手紙でのやり取りだと、色々話してくれてたから。

私の決意は、いつしか自分自身を苦しめていく事となった。

4️⃣に続く。

摂食障害の娘との日々2️⃣

9月に入り、娘の体型は洋服を着ていても異常な位に痩せていた。心療内科でも入院を勧められるが、本人が納得しなかった。
異常な体型でも、本人は太っていると感じ、摂食障害だけでなく、強迫性障害も悪化していった。
もう母親である私でさえ、コミュニケーションを取る事が困難な状態だった。
何とか話が出来る状態の娘に聞くと、私の母と同じ家に住んでいる事が耐えられないという。
私と2人の生活になるなら、変われるかもしれない、、と。
現実的にそれは無理だった。
私の母は無職で年金も月に数万円。視覚障害があり、障がい者手帳を持っている状態。
心療内科の先生もお手上げだった。

このままの日々が続いていく事が恐怖で仕方なかった。

でも、ある日、娘が「入院したい」と言った。
「段差のない道を歩いていて転んだの。もう普通に歩けない位に体力が無くなってるんだって思った」と。

それからは早かった。
心療内科の先生に相談し、入院設備のある精神科を受診し、即日入院。9月中旬の出来事だった。

3️⃣に続く。