私はずーっと姉の事が苦手だった。
いやはっきり言ってキライだった。
継母とは上手くやろうとしないし、父の2回目の離婚後姉と2人で暮らしはじめても姉はいつでもマイペース。
自分ファーストで暮していた。
姉と暮らしはじめてしばらくすると父方の祖父母がやってきて同居がはじまった。
と言っても祖父はほぼ寝たきり。祖母は祖父の世話をしていて部屋にこもりっきり。
祖母が私たちのごはんを作ってくれるわけでも洗濯、掃除をしてくれる訳でもない。
祖母は私たちが学校に行っている間に自分たちの洗濯や掃除をしていたものの、食事は火の扱いが危険と父が言うので、必然的に私たち姉妹が祖父母のごはんを作ることになった。
が、姉は自分ファースト。学校帰りにどこか遊びに行ってしまう日も多く、ほぼ私が家事を担った。
もちろん部活に入れるような時間の余裕もなく、学校が終わったら家に帰り、買い物に行き、祖父母の食事の支度をした。
今で言うヤングケアラーだが、当時はそんな事恥ずかしくて誰にも言えずひたすら毎日をこなしていた。
父に大変な事を伝えたが、「俺が金を出してやっているんだからできるんだぞ。」と謎のマウント
「こんな家に生まれたくなかった。普通の家に生まれたかった。学校卒業して、早く家を出ていきたい。」と私が泣くと、
「学校なんか辞めて今すぐ出て行ってもらってかまわない。」とかえされた。
え?これ実の父が言う言葉?
そして姉が夜中まで帰って来ない日もあった。
父はいつもは滅多に家に来ないのに姉の居ない日をかぎつけて家にやってくる事が多かった。
父「おい!姉はどこにいるんだ?」と寝ている私に声をかける
私「え?知らないよ」
父「何考えているんだ!連帯責任だ!おい!コラ!」と私を布団の上から蹴る。
なんだこの家庭
と、言うわけで私は姉が大、大、大キライだった
続きます