その後しばらくして絵の上手なお姉さんが家に出入りするようになった
当時流行っていたキャンディキャンディの絵を私の大切なノートに描いてもらうのが楽しみだった
そして引越ししてそのお姉さんがママになった。
かなり若いママだった。
そのママには私の2歳年下の男の子の連れ子がいた。
そしてその継母は裕福なお宅のお嬢様だった。
大きな家で私たちも暮らす事になった。
継母は連れ子の男の子を溺愛していた。
最初こそ、女の子がほしかったのよーと可愛がってもらえたが、気分によってとても冷たくあたられる事も多かった。
私と姉は継母の機嫌を損ねないようにお手伝いをする日々だった。
でも姉は継母とバトルする事が多く、継母がこの子とは暮らせない。と姉を父の実家に追いやってしまった
当時の私は姉のように継母に嫌われてはいけないと私にできる限りのお手伝いなどすすんでやった。
食後の食器洗い、ガスレンジをピカピカに磨く。これは私の仕事だった。
その後父と継母の間に弟が生まれた。この子のお世話も私が一生懸命した。
「男の子で良かったね。女の子だったらもうあなた可愛がってもらえなかったよ。」と誰か親族に言われた。
朝は低血圧で起きられないとの事だったので朝食を作ってもらった記憶はない。
こんなにこんなに継母に気をつかいながら生活していたのに、継母から
「子どもなのに親の顔色みてるんじゃないわよ。」と言われ、
あぁ。私が悪い子だから愛されないんだなぁ。
学校の友達を、家に呼ぶなんてことは絶対に許されなかった。
でそのストレスを学校で発散していた私はかなりイジワルな子だったと思う。小学校時代のお友達ごめんなさい
自己肯定感が全く育たない環境で育った。