メールを頂いた方の内容を抜粋しました。

応援して下さった皆様音符本当にありがとうございます♪

A子様
☆いろいろな苦労があっただろうけど やっぱりやって良かったんじやないかなニコニコ不公平という人もいたかもしれないけど 救われた人は多いと思うよビックリマーク
ボランティアってそういうものだと思うニコニコ
私も気仙沼に今いたら 是非参加したかったビックリマーク活動してるあなた達がうらやましいです。自信持っていいょ

B子様
☆現場にて、みなさんの働きを見ていて、本当に脱帽の思いでした。。。
いろんな思いが生まれるのも、分かる気がします。

真剣に考えさせていただこうと思います。
だけど、もう十分すぎるほど、とても良いことをされていると思います!
そのことを誇りに持つことだけは忘れないで!グッド!

C夫様
☆ボランティアお疲れ様ですm(_ _)m
俺コンビニで仕事してますけどパー現場で片づけや被災者の人達の為頑張ってくれてる人達には感謝の気持ちです。
しかしその被災者の中には配給された食べ物をそのままゴミ箱に捨ていく人達もいますしパー片づけをしてやってると思ってる人もいるしダウン
でもそういう人達は極一部だと割り切って頑張ってますよニコニコ
一生懸命やってくれる人が大勢いますしパーボランティアを必要としてる人達も大勢いますパー
あなたが一生懸命頑張ってくれてるから許せないんでしょうねパー
俺は周りの人達はどうであれ自分が頑張ってればと思うんで今自分に出来る事をやってますニコニコ
あなたが頑張ってるのわかるんでニコニコお互い頑張りましょうねチョキ


他にも たくさんのメールをいただきました。

本当にありがとうございました。

 朝、新聞を見ると 一面に大きくこの文字が躍っていました。

先日まで 毎日通っていたボラセンです。記事を読むと連日、200名を越すボランティアの方がいて ゴールデンウィークはこの2倍の方たちが予想されているそうです。

 細かい文字を読むと 上記のことや 多くのボランティアを派遣するために 地域でまとめての申し込みを呼びかけていますが 大きな文字を読むと 『人手は足りてますか』や『ボランティア活用を!』という 文字がやはり 目に留まります。

 『ニーズがあがらない』 毎日、ボランティアに参加していたときに本当かどうかはわかりませんが よく聞いた言葉です。

 どのような やり方をされているのかは、知りませんでしたが 元々、遠慮深いお土地柄・・・。無理をしてもご自分でやろうとしているであろうことは 地元の社協であるボラセンスタッフは当然 周知のことでしょうし また、ニーズ班というものが 存在しているとのことなので  きっと地元にあったニーズの吸い上げをされていることと思います。

 


各避難所に毎日張り出される 約30枚近い 気仙沼市からのお知らせにも・・・。


気仙沼市社会福祉協議会では、市民健康管理センター「すこやか」に、「気仙沼市災害ボランティアセンター」を開設しました。
活動内容やボランティアの募集などについては、お問い合わせください。
■問い合わせ先 ・お手伝いをしたい方 tel:

           ・お手伝いを受けたい方 tel


・・・と なんと 普通の文字サイズで 5行も使って 大々的に お知らせしているので きっと気仙沼市民の方ほとんどは 災害ボランティアセンターのことはご存知なのでしょう。


 また、各家庭にもニーズを吸い上げるためのチラシを作り お配りしているそうです。

それには 『お手伝いできること』として『ご自宅の片付け(個人向け?)、物資の仕分け(行政向け?)、避難所のお手伝い(避難所向け?)などお気軽にご相談下さい。』と書いてあり 『あ~気仙沼市民は普段から社協のボランティアを活用していて これだけ書けば そのほかに色々できることがあるのをわかっていただけるのか。』と 驚きました。

 

色々とは 本当に色々で 付き添いや買い物代行 お話し相手 引越しの手伝い 家内外の掃除 洗濯 日曜大工 水運び 役所等への情報伝達や雑用全般 そして一番大切な安否確認。

今、わたしが 思いつくだけで ざっとこのくらいはあります。 


 きっと民間である 気仙沼市社会福祉協議会が運営する 災害ボランティアセンターには 縦割り行政なんて関係なく 行政、医療、保健、介護等と連携を取り たくさんのニーズがあがっていて 大変なのでしょう。 


なんといっても74000人都市で 当初、在宅・避難所あわせて22000人の避難者がいたんですもの。ニーズがあがらないなんて あるわけないですよね!


すばらしいですね!気仙沼市!




・・・。・・・。・・・。・・・。・・・。



なんて・・・。

もちろん、冗談です。 

わたしは 怒りで震えながら このブログを書いています。

それでも たくさんの仲間が現場でがんばっているので 悪くは書きたくない。


このようなブログを書いた わたしに対する 全ての苦情は 甘んじて受けます。

だから コメントは拒否しません。


人材が足りないというよりは システムの構築。

ひぃぽんの学校が始まり わたしには 現場でがんばることはできませんが 残してきた 仲間が有意義に動けることを 心からの望みます。


助けてあげられるシステムであるボラセンがあるのに助けられないのは

人災』です。

 夕方のニュースで 食物アレルギーなどで 小麦粉や卵などを 食べることが出来ないお子さんと それを支援しようと 戦う女性の特集をやっていました。


 食物アレルギー用の食品は なかなか 市内では手に入りづらく 元々、ネット等で取り寄せていたそうですが 震災後、配送がマヒし 食べるものが無くなったそうです。

 支援物資が 多少届いても カップ麺や缶詰などで 当然、アレルギーがあるお子さんの口に入れられるものではありませんでした。

  困っていたところに 無料で食物アレルギー用の食品を配る女性が現れました。どのようなお仕事をされていた方かは 忘れましたが 子を持つ親には正に救世主だったと思います。

………。………。………。


 と まぁ ここまでは美談なのですが・・・。

この話しは これで終わりませんでした。

 食物アレルギー用の食品を広く 市内の困っている方にいち早く配るために 女性は気仙沼市に その作業を委託しました。 


これで 自分で配るよりも 一人でも多くの子どもたちが救える!そう思ったことでしょう。


 しかし 現実は 違いました。

それから かなりの時間が経過してから 女性が気仙沼市役所を訪れると・・・彼女が 寄付した 食物アレルギー用の食品は 彼女が持っていったまま 廊下の隅にうず高く 積まれたままでした。



『どうして・・・』私は 悲しくなりました。

もちろん、気仙沼市役所の方もどうにかしなくては!ときっと思われたはずです。

ただ、そのための 聞き取り調査や 物資の配送手配が 付かなかったのではないでしょうか。

高く積まれた山を見るたびに どうにかしよう!そう思われたと思います。

『その時、ボランティアや保健所の存在は思いつかなかったのかなあ。』

こんな時でも 縦割り行政なのでしょうか?


聞き取り 個別訪問、ニーズの吸い上げ・・・これらは名前は違っても ご自宅にいらっしゃる方を訪問していることには違いありません。

ただ、行っている組織が違うのです。


これも 『人災』です。

助けられるはずのものが 助けられない。それも 震災から一ヶ月以上も経過しているのに・・・。みんなが一生懸命なのは わかります。休みもなく 疲れているのもわかります。ただ、多各面から 考え 意見を言える方、それを実行に移せる力が 今はないのでしょうか。


 日曜日の夜、いつものように 北千住にある『一柳』により 食料をいただき(本当に感謝しています)東京を出発。


一路、気仙沼へ


 震災後、私は三度目になりますが ひぃぽんは 初めての気仙沼です。

道中、50㌔制限になっているほど 東北自動車道は 地割れ 段差があり 運転もかなり慎重になりました。


 夜明けとともに 一関ICより気仙沼へ向かっていると ひぃぽんは いきなり顔を覆いました。

『どうしたの?』

『ばぁばがね 見ちゃいけないって!』母が気仙沼に着いたら 家に入るまで 目をつぶっていなさい。と 言ったそうです。 


 確かに・・・見せたくないものもたくさんあり 私もどの道を通れば 何も見なくてすむか 考えていました。

『大丈夫だよ。まだ、気仙沼じゃないら!目をつぶってほしいときは言うね!』

見たほうが良いのか 見ないほうが良いのか 人それぞれですが 

我が家としては なるべく見せないようにすることにしました。



 なんとか 遠回りをして ひぃぽんの目には一度も震災後を見せずに 姉夫婦宅に 無事 到着できました。


 本当に疲れました。精神的にも 肉体的にも・・・。

もう 若くないんだなぁ。無理は利かないんだなぁと実感。


今週から 小学校も始まります。平常に戻らなくては!

今、一番の課題です。誰よりも ひぃぽんのために・・・





東京でのひとときの休息…。 の つもりが 慌ただしく所用をすませ

三度(みたび)気仙沼へ~


準備を していると 母からこんな事を 言われました。
『カエルの孫もカエルだねぇ。』
『は?』
母の話によると 私のふるさとである 千住は 戦前、戦後に掛けて 何度も大きな台風による水害が 続き、その度に 近くの中学校に 避難したそうです。その規模は 千人以上だったそうですが それをまとめたのが 当時、町会役員だった祖父だったそうです。


けして、仕切りたがりでもなく 派手な人では なかったけれど、寡黙で  真面目で  存在感があった祖父。


その時の祖父の姿が ありありと想像出来ました。

祖父は真面目で たいへんな勉強家でありながら 発展的でもありました。

うちの祖母は宗教家でしたが

『日本は宗教の自由が認められたのだから…。』

そう言って 仏教や神教、聖書についても 教えてくれました。


ありし日の 祖父を思い浮かべながら

いったい、自分には何が出来るのか どうすれば良いのか…。


答えのない問いに 悩む 今日、この頃です。


※現在、携帯電話にてblogの更新を行っています。誤字脱字や文章上、読みにくい表現も含まれているかと思いますが 適時、修正しますので ご了承頂ければ幸いです。