人生は不思議・・・十年以上どうにもならないと諦めていた恋が、ほんの小さなきっかけで花開く。
そしてもうすぐ、恋人になったマヤと俺の初めての夏が来る・・・。
俺は朝から恨めしげに秘書の水城に視線を向ける。
我ながら子供っぽいとは思う・・・でもな。
「真澄様・・・いい加減に諦めてくださいませ。
何をどう言われましても、七月にマヤさんとオフを合わせるのは、“絶対に無理!” です。」
そんな俺の視線を読んだ水城が先制攻撃とばかりに告げた。
俺のHP(ヒットポイント)は、目の前のボスキャラのスペシャルアタックに一気に激減する。
やっぱりダメか・・・。
俺は思わず溜息をつく。
わかってるよ・・・わかってるさ・・・でもどうしても行きたいんだ・・・マヤと海へ 。
諦めるしかないと俺は言い聞かせて、仕事に向かった。
「もうそこまで夏は来てるのに・・・」
久しぶりに夕方にマヤが会社に俺を訪ねて来た。
彼女はオフで買い物帰りだったようだ。
「何をそんなにたくさん買ってきたの?」
俺は仕事の手を止めて、マヤとソファーに座る。
「今度お休みもらって海に行くことになったから、その準備。」
マヤは夏休み取れたんだな・・・海に行くんだ。
ん?誰と行くんだ?と俺は急に不安になった。
「誰とって、そんなの決まってるじゃない。」
「麗君か?」
「ん、まぁ・・・」
なんか歯切れが悪いな。
「まさか、他の男じゃないよな?」
「そ、そんなわけないでしょっ!」
マヤが目を見開いて叫ぶ。
マヤは嘘のつける子じゃない。
そしてマヤは買ってきたものを次々に見せてくれた。
「・・・その水着・・・大胆すぎないか?
このワンピースもなんかスケスケ感半端ないぞ?」
俺のために着てくれるならウエルカムなアイテム達も、そうでなければ小憎たらしいだけ・・・というか、心配の種にしかならない。
「速水さん・・・なんか、駄々っ子みたいね。」
マヤにまで呆れられてしまった。
マヤはもうバカンスが楽しみでならないようだったが、俺のテンションは下がるばかりだった・・・。
七月も今日で終わる・・・世間は夏本番。
けれども俺に夏は来そうにない。
「いかん・・・HPもMPも下がってきた。」
昔は仕事が全てだったのに、マヤを得てからは俺の人生のプライオリティは明らかに変わった。
全てはマヤとの人生のため・・・だが、仕事量は全く変わらない。
それどころかこのひと月はいつもより酷い。
「何が働き方改革だ・・・」
俺の愚痴は止まりそうもない。
そんな時、水城が決裁の進み具合を確認しにきた。
ついでにまた山のような稟議書と報告書の束を置いて行くのだろう。
「・・・なんとかギリギリ終わっていただけたみたいですわね。」
俺の執務机に置かれた決裁済みの書類達を整えながら、チェックしている。
「・・・ほら、次を出せ・・・徹夜でもなんでもやってやるぞ。」
もう半ば自棄(やけくそ)である。
「もう本日の決裁はございませんが、今から移動をしていただきます。」
水城がまたしれっと無茶な事を言い出す。
「そんな事聞いてないぞ・・・出張先はどこだ?
何かトラブルか?」
「トラブルではありませんのでご安心を。
それから移動の前にお着替えを。
隣のドレッシングルームに用意してございます。」
こんなに急で、着替えが必要という事は誰かの弔問か。
俺はそれ以上何も聞かず、言われるままに着替えることにした。
ライトベージュの麻の上下にオフホワイトのサマーニットのカットソーはVネックの七分袖。
そこにトーンを抑えた、淡いブルーグレーの麻のロングスカーフ。
靴はGUCCIの飴色のモカシンが用意してある。
素足履きを嫌う俺のために、シューズから完全に隠れるベージュのローカットソックスまで揃えてあった。
とても弔問に行くスタイルじゃない。
だが、この衣装以外に見当るものはない。
俺はとりあえずスーツを脱いで、軽くシャワーを浴びて、用意された服を着た。
そして部屋に戻り、執務机の上を見て、俺は驚いた。
そこにはもうパソコンも書類の束もなく、全てが綺麗に片付けられていた。
ただひとつだけを除いて。
「・・・パスポート?」
俺はそれを手に取り、表紙を捲る。
見慣れた顔写真は確かに俺のパスポートだ。
「速水さん、準備できた?」
そこへ軽快な声でマヤが飛び込んで来た。
俺はただ茫然とマヤを見るだけだったが、マヤに続いて入ってきた水城の勝ち誇ったドヤ顔に、俺は全てを察した。
何もかもがほぼゼロ・・・瀕死状態だった俺のMPとHPのゲージがググッと上がる。
「フライトは羽田発23時半ですので、そろそろ向かって頂きませんと。」
「行き先は?」
「コナ国際空港でございます。」
ここ1〜2ヶ月の水城のドSな対応は全てこのためだったんだな。
おそらくはマヤと結託して、水面下で計画されていたのだろう。
水城は今ではマヤの事が実の妹のように可愛くて仕方ないのだ。
「旅支度はマヤさんと済ませてありますので。」
と、水城は秘書室から俺のRIMOWAを引っ張ってきて、ドンと目の前に置いた。
マヤも同ライン、同サイズのtitaniumという色違いのスーツケースを手にしていた。
マヤはフード付きのスカイブルーのロングサマーニットに白いタンクトップ、白いカプリパンツに足元は厚底のサンダルというカジュアルなスタイルだが、手に持ったメンズのパナマ帽が少し大人びたセレブ感を醸し出していた。
「やっぱり、速水さん素敵♡」
どうやら俺のこの服はマヤの見立てらしい。
マヤはこれが仕上げとばかりに、俺のジャケットの胸ポケットにサングラスを差した。
「では、真澄様、マヤさん、気をつけて行ってらっしゃいませ。」
本社の玄関まで水城が見送ってくれた。
俺とマヤは車に乗り込み羽田に向かった。
まるで狐に摘まれていたようだった俺は羽田に向かう道中でようやくこれが現実だと実感し始めた。
柄にもなく頰の筋肉が緩む。
「・・・ごめんね、速水さん。」
内緒にしてた事をマヤが謝る。
「謝ることなんて何もないよ、マヤ。
こんなサプライズなら・・・。」
俺はマヤの顔をそっと指で引き寄せると、その頬にキスをした。
これで俺のMPもHPも満タンになった。
大都の頼もしき女達がお膳立てしてくれたこのバカンスを十分に楽しませていただこう。
深夜の羽田空港。
ラウンジ窓際のソファで、漆黒に煌めく滑走路の誘導灯を眺めながら軽くバーボンロックを飲む。
マヤも仕事で忙しい中を俺の分まで旅支度をしてくれて疲れていたのか、彼女は俺の方に頭を預けて眠っている。
やがてフロアに搭乗案内のアナウンスが流れる。
「マヤ・・・そろそろ時間だよ・・・」
「ん・・・わかった。」
二人で手を繋ぎ搭乗スポットに向かう。
こんな俺にも夏が来る・・・
〜Fin〜