モノと花火と観覧車
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ニードルスの妙

常々もうモノは買わないでおこうと思っている。

今あるモノでやりくりして、それらを使いこなし使い切る。

「足るを知る」その境地を目指し脇目もふらず進みたい。


・・・そう思ってはいても、

何ごとも

なかなか思ったように生きていける人は少ないだろう。


とにかく世の中は誘惑が多いのだ。


クーラーや冷蔵庫や洗濯機が壊れて買い替えるのは仕方ないとしても、

メガネやら腕時計やらヘルメットやグローブなどのバイク用品やらは年がら年中どんなときも私を誘惑してくるし、

これからの季節はレッドウィングのブーツなどが私に誘惑を仕掛けてくる。


ただまあ、このあたりの誘惑なら なんとか負けずにやりすごせるが、

問題は「服」の誘惑だ。

コイツの誘惑には今でも時々負けることがある。

特に、最近

「ニードルス」の服の誘惑には弱い。


この冬もニードルスのコーチジャケットには敗戦目前だ。


私はニードルスがどの年代に人気があるのか詳しく知らないが、

私がよく利用する靱公園のネペンテスでは、

私と同年代の人は見ないが、30〜40代くらいの客がわりと多いように思う。


さて、このニードルスの代表作と言えるのが

毎シーズンいろんな色やデザインで発売されるトラックジャケットやトラックパンツと呼ばれる「ジャージ」の上下だ。

私は、我々の世代こそが「ジャージ」世代だと思っている。

小学校から中学校とだいたい私のまわりはジャージを着た同級生ばかりだった。

そのジャージファッションの1番尖った着こなしは、

赤い国士舘ジャージに女物のサンダルを履くというのだった。

ニードルスでも、

トラックパンツにはトロエントープのサンダルを合わせることを推奨しているようだから、

我々世代なら難なく着こなせるはずだ。


その上、このニードルスのクラシックシャツと呼ばれるシャツは、

我々世代を通り越して 我々の親世代の時代のシャツのようだから、たぶん昭和の大歌手の菅原洋一みたいな方にもバッチリ似合いそうだ。

だから、

ニードルスは、

あいみょんから菅原洋一まで性別や年齢をこえて誰にでも似合う可能性の詰まったブランドのように思う。

ただ、問題は・・・
私の所有する帽子だが、柄が個性的すぎて最初の着用にはけっこう勇気が必要だ。

革ジャンとの時間

学生時代が終わり社会人となった私は、

生活の大きな変化に戸惑っていた。

親の脛をかじって自由奔放な甘えた日々を4年も過ごしてきた私は、

世間知らずのまま社会人となり その厳しさに馴染めずにいた。


それは、銀行でさえ土曜日の午前中は窓口の営業をしていた週休二日制が定着する前の時代、残業残業の毎日。

日曜祝日でさえ仕事で潰れることは珍しくなかった。


たまの休日、学生時代に一人暮らししていたアパートの前まで行って、

あの頃に戻りたい…

と何度も思ったものだ。


しかし、そんな気持ちと裏腹に

休みがないから金を使うこともなく、新入社員の安月給でも貯金通帳の残高だけはボチボチ増えていった。


そこで私は、日々のストレスの発散で人生初の革ジャンを買うことにした。

はじめて買った革ジャンは、VANSONのシングルライダースだった。

肉厚の革でガチガチに硬くて

着こなすにはかなりの強敵だった。


私は毎年何本ものレザークリームをその革ジャンにすり込んだ。

そして十年過ぎた頃

その革ジャンは新品の頃とは比べ物にならないくらいのやわらかさに変身した。

しかし、

私の体型も

十年が過ぎて

その革ジャンが入らないくらいの大きさに変身した。


私は泣く泣くその革ジャンを手放した。


今から10年近く前

革ジャンを手放してから長い年月が過ぎ去り50歳手前になった私は、

新品の革ジャンを買ったとして

それを着込んで育てるには もう残された時間がないことに気づいた。


そこで革ジャンを買うべきか買わざるべきかを悩んでいた私は、大阪の梅田のとある服屋を訪ねた。


その服屋の店員と革ジャンについて長々と意見交換をしていると、その店員が一着の革ジャンを持ってきた。


「お客様の理想の革ジャンは、これだと思います。」

そう言って私の前に広げられた革ジャンは、

はじめて買った革ジャンと同じVANSONの

シングルではなくダブルライダースだった。

しかし、

その革ジャンは あの日の革ジャンとはまったく違っていた。

その違いはスタイルではなく、

革そのものがまったく違っていた。

その革は かなりの鞣しや加工などが施されているようで、着た瞬間から5年6年と着込んだようなやわらかさがあった。


これなら着れるし、ここからなら育てられる。そう思った私は購入を即決した。

それから また10年が過ぎた今、その革ジャンはゆっくりと成長を続けている。

これから先の10年、20年この革ジャンがどうなるのか、

それを知るには まだまだ元気でいないといけないよなぁ。







ドライビンググローブとドライビングシューズの頃

社会人になりたての22歳の頃、

私は姉の旦那のお古のかなりオンボロの日産ラングレーに乗っていた。

MT車でフェンダーミラーでディーゼルエンジンだった。

あの当時、リッター20キロの燃費だけが自慢のその車に乗るのが、時々気恥ずかしく思っていた。


バリバリ稼いでカッコイイ車を買おう・・・

そればかり考えていた。


そんな頃のある日、

私が日産ラングレーに乗って高速道路のサービスエリアで休憩していると、隣のスペースに白いポルシェが停まった。


その車から降りてきたのは、か細い女性だった。

ベージュのスェードのジャケットを着て、

足もとはドライビングシューズで、

手にはドライビンググローブをはめていた。


その姿は、今でも私のまぶたに刻み込まれた風景になっているのだが、

あの当時の私は、そのカッコよすぎる姿に憧れて

いつかはドライビングシューズとドライビンググローブでポルシェに乗ることが将来の目標となっていた。


そして、現在

我が家のガレージには、

妻が使う軽自動車と、

私が乗るバイクが4台と古い小さなフィアットがある。


今後、我が家のクルマが電気自動車などに変わる可能性はあるとしても、

還暦が近づいてきた私には、これがクルマ遍歴のほぼ到達点になるだろう。

結局、あの頃のポルシェの夢はまったく叶わなかった。だが、

今、私は古い小さなフィアットに乗るときに

コールハーンのドライビングシューズをはき、ダンヒルのドライビンググローブをはめる。

それは、ファッションではなくて、必要だからだ。


古い小さなフィアットは、エンジンをリアに積む。

だから、運転中にすきま風がフロントのあちこちから吹き込んでくる。

バイクに乗ったかのように手が冷たくなる。

だからドライビンググローブが必要になる。

そして、

古い小さなフィアットは、コンパクトな設計を最優先したためなのか、ドライバーはかなり窮屈な姿勢をしいられる。

運転席の足もとは前輪に大きくスペースを奪われているので、やや右斜めの姿勢で座り運転しないといけないし、その狭いフットスペースにある3つのペダルの間隔はわずかしかない。

パラブーツのシャンボードやオールデンのVチップやジョンロブのウィリアムなんかを履いて運転するのは無理だ。

小さな細いクツでないと運転できない。

だからドライビングシューズが必要になる。


今から30数年前のあの高速道路のサービスエリアで休憩していた私が、

古い小さなフィアットからドライビングシューズとドライビンググローブで降りてきた今の私を見たら、

どう思うだろうか・・・


とりあえず、

今の私は、あの頃の私に

「そこそこ頑張ったんだよ。」

と言い訳はするだろうけど・・・