業界でも先んじて移動販売車を走らせて、移動の手段を持たない高齢者などの“買物難民”を救ってきた店がありました。
店先に生ゴミ処理機を設置して堆肥化、野菜づくりに活用するという循環型社会モデルを構築した店がありました。
率先してレジ袋の有料化を推進し、県全体をレジ袋有料化に導いた店がありました。
さらには、ホームレスを雇用し、街の明かりを消さぬためにシャッター通りとなった中心商店街へあえて出店するなど、損得より先に善悪を実践した独立系ローカル食品スーパーがありました。

 

 

しかし、お気づきのように、ここまでの文章の時制はすべて過去形。
2017年12月のクリスマス商戦の最中、その店は突然105年の歴史にピリオドを打ちました。
1912年、山梨県韮崎市に鮮魚店として創業、後にスーパーマーケットに業態転換、最盛期には78億9200万円を売り上げたスーパー「やまと」です。

その商売のあり方は、競合他社の多くがうたう“地域密着”というありきたりな表現では言い尽くせないほど生活者本位であり、まさに“地域土着”ともいうべきものでした。

 


経営者の小林久さんは三代目として事業承継、前例やしがらみにとらわれない経営により業績を伸ばしたやまとは、冒頭のようにさまざまな地域貢献を実践していきました。
また、若くして山梨県の教育委員長を務め、「やまとマン」という愛称で、弱きを助け強きをくじいてきた小林さんは多くの地域住民から愛される存在でもあります。

 

 

しかし、近年は“地域密着”をうたいつつ進出してくる県内外の大手スーパーとの競合激化により業績は悪化。
ピーク時には16あった店舗のうち不採算店を閉店しながら、不断の努力で回復基調にあった矢先の倒産劇でした。
その直接の原因は、主力取引問屋からによる突然の納品ストップ。
そこには誰の、どんな思惑がはたらいたのでしょうか。

 

「敗軍の将は兵を語らず」とは、司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』の一節。
戦いに敗れた者は、戦いの経緯や武勇について語る立場ではないという意味から、失敗した者が弁解がましく発言したりすべきではないという戒めとして知られています。
「しかし」と小林さんは言い、言葉を続けました。
「経営者としては失格だった私が、この業界への“遺言”を記しておこうと思ったのです。私ができなかった地域への恩返しを、読んでいただいた誰かに、同じ過ちを繰り返すことのないように託したい」

 

 

新刊『こうして店は潰れた 地域土着スーパー「やまと」の教訓』は、小林さんによる回顧録。
「逆境や絶望からよみがえった体験談なら知らず、挫折した人間の思いかもしれません。ただ、そこにはいくばくかの真実もあります」と小林さん。
誰かが喜ぶなら迷わず即断即行というポリシーを貫いた、中小ローカルスーパー経営者の倒産ドキュメンタリーと教訓――そこには、当事者だから語れる“生きた教訓”があります。