ダイエーの中内功氏、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏、岡田屋(現イオン)の岡田卓也氏という、今日の日本の商業を形づくった人たちをはじめ、志を持つ青年商人たちは、戦後の「腹いっぱい満たされない時代」を、自らの商いによって何とかしたいと考えていました。
このときに、最も先鋭的に宗教にも近い形でアジテーションしたのが、2010年7月21日に逝去された、日本のチェーンストアの父、渥美俊一さんでした。
彼のアジテーションの中身は極めてはっきりしていていました。
小売業は昔から零細を当たり前にしていました。
一部の百貨店や古い老舗繁盛店を除くと、小売業のほとんどが零細家業だった時代です。
渥美さんはそれを変えようと、「小売業は大売業になるべきである」と繰り返し、声を大にして説いた人物です。
商業界創立者、倉本長治は彼の価値を見いだし、渥美さんを商業界ゼミナールに招き、そして商業界の常連筆者として迎えました。
渥美さんの主張の肝は、小売業はチェーンストア化によって大売業になれるだけではなく、製造業など大規模産業に匹敵する「産業」になれるというものです。
そのために、従来の小売業とこれからの大売業を区別するために「流通」という言葉を使ったのです。
心の豊かさよりも物の豊かさが求められた、1980年代初頭までの日本の流通業が目指したものは極めて明快でした。
その目指すべきものを、誰よりも戦略的に徹底して説いたのが渥美さんだったのです。
だから、繁盛店の店主に対しては、「1店舗つくって繁盛したなら、なぜ10店舗つくらないのか」と檄を飛ばしたものでした。
しかし1980年代に入ると、パラダイムの変換が起こりました。
脱コモディティ(生活必需品)時代の到来です。
価値は物固有にあるのではありません。
物に相対した人の心に生まれるものです。
それが顧客満足であり、心の豊かさの正体です。
では、その満足はどこで生まれるのでしょうか。
物やサービスと人が相対するフィールドは、商業の「顧客接点」です。
その商業のフィールドにおいてこそ価値は生まれます。
どんな売り方をしているのか、その店がどんな思いを持つのか、お客にどう思われているか、どのような品揃えか、売場で何を訴えているか……。
価値を形成するさまざまなファクターがそこにあります。
つまり、価値が生まれるか、生まれないかは、小売りのフィールドにおいて決まるのです。
そうしたフィールドに対する解は、それまでのチェーンストア理論から得ることは叶いませんでした。
小売業の産業化、そして経済民主主義の実現――この2つを実現する方策こそチェーンストア理論の真価です。
だからチャーンストア化こそが、日本の小売業の目指すべき方向であると渥美さんは生涯にわたって力説したのです。
そして、渥美さんの死とともに一つの時代は終わりました。
日本は、新しい商業創生の時代に突入しています。
物的充足の上に、人々はさらに高次な豊かさを求め始めています。
それは十人十色、一人十色、さらに言えばインディビジュアルの時代であり、文明の高度な発達の上に文化の花が開く世界です。
それは“心の豊かさ”と表現できるものだと私は思います。
商業は次の進化段階を迎えています。
進化とは、種の多様性を前提にした営みです。
チェーンストアは必要だし、欠かせないものです。
しかし、それだけでは暮らしは豊かにならないことを私たちはすでに知っています。
私たちは、新しい商いを創るべき段階を迎えています。
そして、それは渥美俊一さんの大きな功績の上に萌芽していることを、私たちは忘れてはなりません。