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19660713-0713さんのブログ

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利休百首より

"規矩作法守りつくして破るともはなるるとても本を忘るな"


振り返りますと、やはり一つの事を細くも長く続けられますことを心より有り難いと思えます。

思えば、その時の年齢や経験と共に、その時なりの発見や苦しみがありました。

始めることへの動機はありましたが、やはりそのお稽古の一時が好きだからこそ続けられたのだと思います。

年に一度行われました花月のお稽古には、本当に沢山の想いがありました。


その日は、穏やかな気持ちで花月の最も大切な基本でもあり平花月のお稽古をさせて頂きました。

亭主、正客を含め、5人で始められます。
お扇子を前に挨拶を交わし、皆が心を一つに稽古に挑むような空間です。

やはり正客に心を合わせ、ふくさを腰に付け正確な所作や美しさも求められます。

呼吸や間なども、所作を途切れることなく水の流れのように運ぶ為の大切な要素となるのでしょう。
お互いを重んじる心も大切です。

折り据えを回し札を取ります。
全てに意味があり、どの役が欠けても会は成り立ちません。

ただ札を引き、与えられました役を無心でこなします。

心と共に、体得すべき日頃の稽古が試されます。

そして
"花月百遍朧月"
と言われるほど、臨機応変な対応も求められます。


必然か偶然か…
その日は札を引きながらふとかつての自分を振り返りました。

花月は七事式の一つで、修練を目的とする幾つものものがあります。

一人の心の乱れが全体のリズムや流れをくるわせてしまいます。


(過去を振り返りますと、私の場合、人前での緊張や与えられる役へのプレッシャーに何度も押し潰されそうになりました。)



その日は、経験が浅くても引かれました札を無心で一生懸命にされる方の姿を拝見して、心から応援したくなりました。


皆さんがそれぞれの日常をお持ちになりながらも、その日のお稽古を迎えられる有り難さ。
そして、人とのご縁にも心から感謝です。

なんか、不思議です。


有り難うございました。














季節に先回りされています。




その日のテーマは"桜"に関する本をアピールするものでした。

前日の準備とあり、少し無理がありましたが
桜→春→spring→跳び跳ねる

で、"跳び跳ねる思考"
東田 直樹さん

かつて読んだものを思い出し、紹介させて頂きました。

重度の自閉症であり人とのコミュニケーションがとれなくて
'文字盤ポインティング'やPC
を利用して豊かな感性、研ぎ澄まされた心で文字が溢れ繋がり、エッセイのように表現される方です。



2013年に"The Reason I Jump"
として翻訳され、多くの国でも翻訳されてるようです。



人の心の内、誰もが様々な感情や想いを抱えてることと思います。

思考はそれぞれに自由に広げることは出来ても、言葉として人に伝えるとなりますとそれは難しい様に思います。

純粋に一生懸命に自分に向き合い生きている彼の文章は、本来忘れてしまった記憶のような、何か大切なことを気付かせてくれるようなエネルギーに溢れています。

自閉症を抱え、困難に遭遇しながらも前向きに生きる彼の捉える
"必然と偶然"
があります。

病気を抱えるご自身の運命を必然と捉えるのか、または偶然として納得するのか…

"どちらも人の力ではどうにもならないことで、生きるための理由に満足出来ればそれでいい"
と書かれています。


最近、人生を振り返る時期なのでしょうか。
ふと過去を振り返り、様々な出会いや出来事を必然なのか、または偶然であったのか考えたりもします。


実は私、意識しますと上手く人に伝えることが出来ないのです。
そして、極度の上がり症なのです。


昨日、やはり何故か皆が惹かれる、とても不思議な方Mr.T -san。
皆で食事をしてますと、婚活中の友人(青年)に
「"人は3日で変われる"
ってアドラーが言ってるのだから…」
その日は、アドラー論でエールを送っていました。



皆、笑顔の中にも、きっと様々な悩みや思うようにならないことも色々あると思います。


ある方の
"outputないところにinputなし"
との言葉があります。
outputの一つとしてブログを続けてきました。

そして、気が付きますと娘たちもそれぞれの道に歩き出してます。

(かつて、SNSに長い文章を書きましたら、そんなに書くことあるのならとブログを勧められました。
娘達に向けてのつもりで始めましたが、子離れするまでの母親を見守られてるようなものでしょう。私もかつて、母に対しての自分を振り返りますと…きっと読んでませんね。(^^;
気が付きますと自分に向き合う為のものでした。)


SNSやブログなどでは、強いて前向きで明るい日常を表現してます。

必然か偶然か、過去のあらゆる悩みや挫折、人との出逢いや別れがあり今に繋がることを実感します。

ふと、何となくマインドマップを描いてますと、かつて育児の忙しさで日々過ごしてます時にマインドマップで大切なことに気付かされたことを思い出しました。

傾聴の大切も最近特に感じます。

例えば、ピアノでも思うことがあります。自分の奏でる音をきちんと聴けてないと…
(英語でも、やはり聞けてない音は発音出来ないように。)


そして、もっとシンプルに自分を楽しめたらと思います。




どうぞ、よいGWを…(*^^*)

有り難うございました。










このブログもあと残すところ僅かとなりました。

家族が大好きなのに、離れたところで学んでる娘にさりげなく伝えるメッセージとして始めました。

かつて、お茶の先生がおっしゃってました。
人は、生まれる時もこの世を去るときも自らが成すもので、自分自身が大切であることを。

たまたま縁があり繋がりました個々の絆のような…家族とはそのようなものかと思います。

その縁に感謝して大切にしないといとも簡単に離れてしまいそうな時もあります。

ただ、親として願うことは、自分の人生を生きてくれる心の豊かさや知恵…

木々や植物が大地に根を張るように、人との繋がりや愛情の大切さを感じてくれたらと願います。

この数年に、自分の想いや心構えよりも先に様々なことが起きました。

娘達が手元から離れ、"伝える"ということを意識しましたいくつかの挑戦のようなものがあります。

そのうちの一つにスピーチがあります。
あまりにも苦手で全くもって上手くはなく、いつ消えてもおかしくない状況です


前回のスピーチは、
"自分の心が決める第3の環境"

家庭や仕事、自分を取り巻く環境は時には選べないこともあります。
自分の育った環境や過去を振り返ります。
そして過去から未来への夫婦の在り方なども


ある方と話してまして、かつて学生の頃に読みました"夜と霧" 。
ふと図書館で手にしました。

心理学者でもありましたヴィクトル フランクルの言葉

"人は何故命を与えられ、人は何のために生きるのか…"

アウシュビッツの辛い経験よるものです。

"どのような状況になろうと人間には一つだけ自由が残されてる。
それは、どう行動するか。"

また、人間は容易く環境に慣れるものとのあります。
いつの世にも、人は無意識のうちに善にもなれば悪にもなりうる存在なのでしょう。

時には立ち止まり、行動を起こすには少しの勇気が必要な時もあります。

(かつて長女は、仕事において、おそらく多くの悩みを抱えてたと思います。)


この数年に、義母の病気や怪我、おぼろげな認知症も患います。
と同時に、義母は曾孫の誕生を喜びます。

(私は、人生を時間に例え、その二人のおよそ真ん中辺りに位置し、その時の空間を感じます。)

この世に生をさずかり、言葉や感情を広げて人と関わりあい、そしていずれは終えていくその命のあり方を考えさせられます。

どのように生きるか。


デンマークの言葉で
"ヒュッゲ"
人と人とのふれあいから生まれる温かな居心地のよい時間や空間
だそうです。

Work to live, not live to work.


離れてる娘に願うことは、やはり笑顔と健康、安全のみです。



構成的にも、またあまりの緊張もあり、全く振り返りたくないスピーチではありますが、家族の一人一人に寄せたメッセージでもありました。

(スピーチ以上の解説が必要なようですが)




Outputとさせて頂きます。


有り難うございます。